ありふれた難問

2003年3月5日
  幼いころ毎日毎晩ありふれていたものを
  無いものと想定するのは 難しい

  バスはあった 電話も トンネルも
  ラジオや トーキー映画も始まっていた

  しかし無かった テレビや洗濯機や冷蔵庫
  それに隣の家の空地に自動車だなんて!

  くりかえさされた「朕オモウニ」の丸暗記
  のかわりに今はやたら多い答また答
  また答から正しいのを選べだってさ

  いつも戦争があったので
  (大多数の人類どうしよう)
  いくさが無いのが続くと想定しにくいとはー
  いったい人間のどういう貧しさのおかげなんだ

  ほんとの宿題は この難問にむきあって
  答をとことん考えつくすことじゃないか

(「ありふれた難問」木島始『流紋の汀で』/1999)

。。。。。。。

今や、なくてはならない、ケータイ、パソコン。
DVDプレーヤーにプレステにカーナビの所持率も上がってきている。

“洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビ”が「三種の神器」と拝まれた神武景気の頃から早50年。

“車、クーラー、カラーテレビ”が「新三種の神器(3C)」ともてはやされたいざなぎ景気の頃から早35年。

木島始のこの詩はまさに、これらのブームをなぞらえ、この情報社会における無限の選択肢の氾濫を皮肉に謳っている。

私にとっては、どれも生まれた頃から当たり前に揃っていたものだったけれど、こうして、好景気がやってくるたびに膨れ上がっていく耐久消費財のブームとその定着の中で、反比例してたくさんのものを失っていったのだろう。

≪ラジオや トーキー映画も始まっていた≫
と木島は少年時代を振り返る。

今やラジオは、CDコンポやMDコンポのおまけ的存在。
4大メディアにおけるラジオ(FM放送)の総広告費も最低。
トーキーなど最早とうに消滅していて、
ドルビーの最新音響が当たり前。
DVDの単価も下がって、映画館自体の動員も減少。
シネコンの増加によって、昔ながらの小さな映画館は次々に街角から消えつつある。

そもそも、「ラヂオ」「トーキー」という言葉自体がすでに懐かしい。
80年代生まれのあたしにとっては、「レトロブーム」でお目にかかることがあるぐらい。
そう、まるで博物館の恐竜の化石のように。

今では
「初めて買ったレコードは?」
ではなく、
「初めて買ったCDは?」
と質問する時代。
レコードなんて、DJかレトロ趣味でなければ持ってやしない。

ITバブルはとっくにはじけたけど、毎日テレビのCMではネットを使った買物システムが紹介され、
「オンライン」という言葉は一種のブームのよう。
企業が自社ホームページを持つのは当たり前で、
政府も住基ネットなんてことをやり始めて。

そんな今の時代の「三種の神器」
すでに設定されているのかもしれないが
あえてここで創ってみるなら
“ケータイ、ネット、カーナビ”
だろうか?

・ケータイのメールでしかコミュニケーションのできぬ若者
・ネットに依存して引きこもる若者
・休日は終日プレステに熱中する若者
・カーナビがなければ知らない土地へ辿りつけない(地図、標識の読めぬ)若者

≪いったい人間のどういう貧しさのおかげなんだ≫
と木島は云った。

非常に逆説的な真理である。

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