かつて…

2003年3月25日
いつか、彼とのことは、「今は昔」になってしまう。

つまり、「思い出」になってしまう。

「思い出」になるということは、「現実」ではない、ということ。

「過去の存在」にされてしまうということ。

―いやだ。

あたしを思い出になんかしてほしくない。
あたしを過去になんかしてほしくない。
あたしを昔の人になんかしてほしくない。
あたしは常に彼の現実の人でいたいのに
あたしは
あたしは あたしは、彼の「かつて」の女になりさがる―――

…いや!

あたしが彼の「今は昔」の存在になるのも・・・

彼があたしの「今は昔」の存在になるのも!!

―時の流れとは、なんと残酷なことか。
本人の意志と無関係に、一瞬にして全てを奪う。

しかし、それ以上に、忘却という機能を持つ人間の大脳の効用が、恨めしい。

記憶というものの曖昧さよ、その不確かさは、罪。

―だけどお願い、あたしを風化させないで―

…所詮、無理なことだとわかってはいるけれど、あたしは「美化された過去の記憶」の中だけの住人になんて、なりたくない。

古いあたしを欲さないで。
常に「今」のあたしを知って。

…写真をたくさん撮った。

だけどそれは、その時点ですでに、「このときがすぐに過去になる」と皆が思っていたからこそ。

皆で思い出作り?
いいえ、現実と向き合っていないだけ。
「いま」に立ちながら、未来のために、過去の準備をしているのだ。

なんて、かなしい。
なんて、せつない。
なんて、むなしい。

…ユーミンの『卒業写真』みたいに、アルバムだけをめくって懐古して溜息をつく日々を今から用意するなんて。

 “あの頃の生き方をあなたは忘れないで
  あなたは私の青春そのもの”

 “人ごみに流されて変わってゆく私を
  あなたは時々遠くで叱って”

過去を美化して神格化するように特別な存在に仕立て上げ、しがみついて、その維持を強要する。
こんなにむなしく、自分勝手な歌があるだろうか?

人は常に進化し、その変化を見守ることが一番自然だ。時を止めることなど不可能だから。

そもそも、物理的に遠く離れていたって、心が通いあっていれば、物質・つまり肉体が不可視であろうとも、共に「いま」を生きられるのに―

―こうして、私たちは、私たちの中で、このときがすぐに失われることを理解していた。

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