春の終り…か。

2006年4月24日
そのとき頭を巡っていたのは、「不毛」という言葉。
そして、その言葉はじき「徒労」と変わった。
「こんなことをして、一体なんになるというのだ?なんにもなりやしない!」
口からは発さない。ただ、自分の脳内で、自分に向かって話しかけていた。
「無駄だ。」
思えばあれ以来、そんなことばかりして、最終的に同じ考えへ辿りついているように思う。
「終わったことに執着して、なんになるというんだ?」

高級住宅街の坂道を、下っては上り、うねる道を進み、分岐する道を曲がり、そして同じ道を何度もぐるぐる歩く。天候の良い土曜の昼に庭いじりをする平穏な老夫婦の顔に「不審」の二文字を浮かばせる。当然だろう。閑静な街並みに、周辺を見回しながら複数回歩き過ぎていく女は、誰が見ても怪しい。
晴天とはいえ少し肌寒い春の陽気だが、そのうちしだいに汗ばみ、息も切れ、ジャケットを脱ぎ、カットソー1枚でひたすら歩き続けた。額に浮かぶ汗をハンカチで押さえ、今は夏かと錯覚する。
そして、ふいに瀬戸内晴美の小説「夏の終り」を思い出した。知子が慎の家へ向かっている様子が浮かび、まるで二重写しのように自分の姿を見た。目的地がどこにあるかもわからず、ひたすらその方向であろう方向へ歩き続ける。鬼気迫る表情、乱れる化粧。文章世界の人物である知子の表情が、ありありと浮かんでくる。私は、カットソーにジーパンではなく、和服を着ているのではないか・・・とさえ思えてきた。
と同時に、「不毛」という言葉が頭に浮かんだのだった。
そして、かつて創ったの詩の一節を思い出した。
『不毛 ゆえにむせぶ』
これは当時の恋人との報われない状態の中で創ったものだった。
あのころは、ほとんど毎日、詩の創作をしていた。
そういえば、最近はまったくしていない。
今の恋人との関係が始まった頃から、だんだんと創らなくなった。
今では、同棲しているので、一人で物思いをする時間もない。が、それは理由にはならない。
創作は、外的な要因ではなく、内的な要因がなければ為しえないのだ。
つまり、創作へと自己を突き動かす感情が。創作に昇華しなければ、やりきれない感情が。
その事実を冷静に分析すれば、私が今こんな所でこんなことをする必要などまるでない。
そう、現在進行ではなく、完全に過ぎ去っていることに、こうして憑りつかれてどうするのか。
しかし、本当に、完全に過ぎ去っているのか?そう、「こと」は終わっている。だけど、彼の「こころ」は終わってはいない。いまだに、過ぎ去った場所にいる女性を追い、心の中に棲ませている。
たとえ、現実になんの関係がなくても、彼は内側に自分以外の女性を置いており、しかもそれを私に対して隠している。それを知って、私を襲った絶望。ああ、こんな事態を到底、許せるわけがない。しかし、彼に自覚がなければ、責めようもない。彼は、私と新しい生活を順調に進めていると思っている・・・。

やがて、それと思われる外国産の車を発見した。周辺には人ひとりいないというのに、まるで泥棒が、侵入する前にさりげなく周囲の人の不在を確認するかのような動きで見回し、そして、おそるおそる目の前に存在するものへ近づいた。大きな感情は湧いてこない。ただ、振り幅の小さい感情、いやむしろ、無に近いような感情が、自分の内にひっそりと現れた。
何もしない。ただ、じっと見つめた。それが数秒だったか、数分だったかはわからない。
私は、その場にへたりこんだ。
それまで、何か説明しがたい執念に突き動かされて、運動不足の足腰を機械のように作動させていたのだが、ついに目的地に辿りつき、力つきたのだった。どっと、疲弊に見舞われた。
空を見上げると、澄んだブルーに白いちぎれ雲が優雅に流れており、憎らしさを覚えた。

立ち上がり、見下ろす。この車が彼女のものであるという確証はない。
彼女と同じ車種であるだけで、別物かもしれない。
溜息がでた。
「徒労」
この言葉を土産に、私は家へ帰るため駅へ向かった。

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