『ラマン』でデュラスは
「十八歳でわたしは年老いた」
と書いた。
18歳なんて歳はとうの昔に過ぎているが、
似たような感情を、近ごろ抱く。

青春と呼ばれる年代にしか読めない本がある。
その時期を過ぎたら読んではいけないというわけではない。
「消費期限」切れではないが、「賞味期限」切れなのである。

読書好きを自称するひとならば、
誰しもが手を出したことがあるであろう
サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を、
私は読み逃している。

10代のころ、もちろんこの小説の存在は知っていた。
が、専ら三島由紀夫や皆川博子、山田詠美といった作家に
傾倒していた私は、その青春の名作に興味を抱かなかった。

(三島由紀夫・皆川博子・山田詠美は、一見まるでバラバラの
取り合わせのように見えるが、私にはどの作品も“しっくりと”読めたのだった)

『ライ麦畑でつかまえて』
このタイトルからして、気恥ずかしい。
周囲に、この本を“バイブル”という人があった。
私は、この2つ年上の先輩を好んでいなかったので、
ますますこの本から遠のいた。

同級生に、村上春樹ファンがいた。
新作が出ると飛びついていた。
図書館には、作品がずらりと取り揃えてあった。
しかし、手を伸ばすものの、棚から取り出すことはなかった。

そうして、青春といわれる時期を通過していった。

今思えば、興味はなくとも、読むべきだったのだ。
これほど多くの人に長い間愛され続ける作品・作家なのである、
読めば何か得たものがあったに違いない。

そんなに後悔するならば、今からでも読めばいいじゃないかと
言う人がいるかもしれない。
しかし、私にとっては、すでに「手遅れ」なのである。

青春小説と呼ばれる類のもので唯一読んだのは、
山田詠美の『放課後の音符』ぐらいだ。

当時は、主人公の気持ちに共感しながら貪るように読み、
このような“ちょっと大人な恋”に憧れたものだった。
しかし、今読み返しても、当時のような感情は得られない。
むしろ、そこに出てくる“大人”たちのほうに興味は移る。

やはり、青春の必読書と呼ばれるものは、
その年代に読まねばならない。

映画でいえば、学生時代には
青春の真ん中を行く金字塔「愛と青春の旅立ち」
青春独特の孤独感ゆえに破綻を来たす「17歳のカルテ」
「ヴァージン・スーサイズ」「アメリカン・ビューティー」
ロックバンドを敬愛する少年のグルーピーへの淡い恋
「あの頃ペニー・レインと」などを、好んで観た。

当時愛した、それらの映画。
残念ながら、今ではその熱は失われてしまった。

すべては若き“青春”という時代がなせるわざ。
はしかのように一過性の、流行病のようなもの。

恋への情熱。性への興味。
友情を結ぶ楽しさ。仲間との連帯。

それらを謳歌していた時代が確かにあったが、
今では蟄居した老人のような日々を送っている。
だからこそ、『ライ麦畑…』を読み逃したことが悔やまれる。

10代〜20代前半の学生は、ぜひ読むべきである。
モラトリアムという特権階級にいるうちにしか、
これらの本の魔法のような魅力は発揮されない。

私のように時期を逃すと、
あらすじや冒頭を読むだけで読む気を無くしてしまう。

青春という時代は素晴らしい。
世界は自分を中心に回っていると錯覚し、
傷つきやすい敏感な心を持ち合わせ、
恋愛を人生の重大事のように取り扱うことができ、
つまらぬことに真剣に取り組んだかと思えば、
大切なことに対してなげやりになったり、
すぐに怒って、すぐに泣き、悲しんだかと思えば
すぐ笑う。
あり溢れる時間と体力を持っている。
何より、若さゆえの未熟な輝きを放っている。

そんな時代は永続しないのだから、
その短い時間に、惜しまず青春の必読書を携えるべきである。

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