毎朝、満員の地下鉄から押し出されるように降り、
地上へ向かって急ぎ足で昇っている時に思う。

「肉体の疲れが精神の疲れを引き起こすのか、
 精神の疲れが肉体の疲れを引き起こすのか」

“鶏と卵”のような愚問を自らに問いかけ、
「朝から疲労に見舞われているなんて…」と嘆き、独りごつ。

地上に出れば、目を細めるほど太陽が眩しく、
湿気がねっとりと肌にまとわりついて、苛立ちを募らせ
すべてが恨めしい気分に陥る。

しかしこんな時、世に溢れる、したり顔の指南書など必要ない。
疲労が幾重にも身におおいかぶさり、抜け出せず、
精神も肉体も破綻しそうになっている時こそ、小説を読む。
どれだけ多忙だろうが、睡眠時間を割いてでも
先人や人生の先輩が紡ぎ出す言葉を目で辿り、文学の世界へ浸り込む。

そう、読書は、恋愛より酒より食事よりエステよりセックスより
何より心身を開放し救済する特効薬である。

厭でも疲労に追い込まれる泥沼の環境に身を沈ませる日々の中でも、
此処ではない“別世界”へ束の間でもトリップすることで、
この身を正常に保たせている。
バッグの中には、常備薬として、頭痛薬と一緒に必ず小説が入っている。

竹西寛子を読めば、世の中にはこのように清廉な世界があるのだ、と感嘆し
林真理子を読めば、世の中にはこのように欲望に赴くまま生きる人もあるのだ、と
また感嘆する。
両極の世界を行き来しながら、その中間の世界で中途半端にたゆたっている
我が現状を顧みて、清廉でなければ奔放でもない、
どっちつかずのろくでもない生活だ、などと嘆かわしい気分になり、
いずれかの世界へ近いうちにも移動せねば犬死だと再確認することで、
気力を保ち、一日一日を何とか無事に遣り過ごしている。

この頃は、欲望に忠実に生きていた学生時代の日々をやたら思い出す。
学生の心地などとうに捨て去ったはずなのに、
これほど思い起こすからには、現状に問題があることは明白で、
その原因について考えを巡らすにつれ、
やはり、早々に軌道修正が必要なのだと強く自認する。

然し、どんな状況にあっても壊れない、
強靭な精神を持っていることが唯一の私の強みである。
この苦境も、次の舞台へ跳ね上がるためのバネだと思えば
無駄ではないと思い直す。
そして、水面下で階段作りを画策する。

無論、周囲に対しては微塵も顔には出さない。
人には悟らせない。
悩むことは時間の無駄だし、愚痴を吐くことも無駄。
自分の人生の進路を他人にうだうだと相談することも無駄。
決断をした瞬間から、常に最良の時機を窺うのみ。
それにしても、人はなぜ、すぐに泣き言を漏らすのか。
憂鬱な顔をして見せるのか。
去るときが来たら、潔く去るだけで良いではないか。
後のことについて思い巡らす必要などない。

背に負った重責以外のことを考える回路が塞がれるほど
心身が疲弊に見舞われる状況にあっても、
気を強く持ち、正確に未来を見据えられているのは
ひとえに、傍らにあるたくさんの書物のお陰である。

一つの世界に囚われず、広い視野で思考する助けにするのに
読書の他に何があろうか。

笑ってテレビの娯楽番組を見る暇があれば、のんびりと食事をする暇があれば、ゆっくりと湯船に浸かる暇があれば、セックスをする暇があれば、本を読む。
睡眠時間すら削って本を読む。

現実逃避ではない。
別の世界へ移るための思案の助けとなる、必要な知恵がそこにある。
素晴らしい師だ。
多くの師に囲まれて、今夜もまたありがたくも疲弊を回避し、
野心の火を灯す。

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