夏の葬列

2007年8月15日
あっという間に、夏季休暇最終日である。
5日間の休みだったのだが、普段の洋装に加えて、予定通りに浴衣と、
予想外に喪服を着た。

お盆に喪服。
マッチしすぎて、何とも言いがたい。
真珠のネックレス以外、全身を黒で固めて地下鉄に乗れば、一斉に視線が集まり、一様に「まあ、お盆に葬式なんてね…」と言いたげな目であった。

亡くなったのは親族ではなく知人の父親なのだが、年齢的にまだまだ若い。
倍の年齢を生きれば「大往生」と祝福されて、葬儀場の入り口に並べられた花輪の菊だってすべて持ち帰られただろうに、触れる人もいない。

病魔に侵されてからの数年間、小康状態と危篤状態を繰り返していたものの、ここ最近の状態は酷く、現在の医学ではもう手の打ちようがなく、ついに「延命治療をどうするか、と医者に問われた」という話を聞いたのが盆前。

お盆のさ中に亡くなるとは、帰ってきていたご先祖たちに呼ばれたのか。延命治療を断念したのか。

うなだれた知人、涙で瞳を真っ赤にした知人の母親で故人の妻。

聞くべき質問ではないが、前者だと思いたい。

ところで、葬儀場までは、地下鉄・JR・バスを乗り継いで片道2時間。

バスを降りれば、

炎天下に響き渡る蝉の声
葉が風に揺れる緑の田園風景
格子戸が情緒溢れる古い町並み

…初めて訪れた知人の実家は、吃驚する程の“田舎”だった。

バス停から葬儀場までは徒歩3分ほどなのだが、
信じられないことに誘導を任せていた連れが
バスを降りた後の道順を調べておらず、
しかも葬儀場のほうも誘導看板を置いておらず、
タクシーを拾おうにも、まったく走っていない。
方向を推測しながら歩いているうちに迷ってしまい、
道行く地元の人に聞きながら、30分かけてようやく到着…。

35℃超えの猛暑に、喪服を汗だくにして歩く…
一体どういう試練かと思った。
(お盆中の渋滞を考慮して、あえて車でなく公共交通機関を使ったのが裏目に…)

けれども、そのお陰でなかなか魅力的な道を歩くことができた。

人に道を聞こうにも、まったく人が歩いていないのには
参ったが、それでも3人の人に道を聞き、
3人目は、地元の医院の前で井戸端会議を開いていた老女だったのだが、
道を尋ねたら、「ウチに帰るついでだから」と連れて行ってもらえることに。

その老婆が案内した道は、完全なる“裏道”というか、“地元民のみ知る道”。

本来なら(少なくとも地図上は)、
その葬儀場へはコンクリートで固められた車道を歩くのだろが、
そこは人一人通るのが精一杯の土の歩道。
左右は木々に囲まれて緑が風にそよぎ、小花が咲き、
頭よりほんの上の高さにまで木々の枝がロープのように垂れ下がり、
鳥の声や蝉の声がこだまする…

まるで宮崎アニメの『となりのトトロ』や『千と千尋の神かくし』にでも出てきそうで、妖精や妖怪が現われても何らおかしくない道。。。

途中でその老婆を「大丈夫か?どこに連れていくのか?」と
疑ったものの、数分歩いたところで道を出て右に曲がったら
葬儀場が聳え立っていた。

五感に訴える鮮烈な体験だった。

帰途に突然、山川方夫の『夏の葬列』が読みたくなり書店を訪れたのだが、なかった。
シーズン的に絶対「夏の文庫フェア」系の帯がついて平積みしてあると思ったのだが…。

『夏の葬列』で思い出したが、
考えてみれば、今日は終戦記念日なのであった。
私の祖母は、空襲で逃げている最中、ほんの数メートル後ろに
焼夷弾が落ちたという。
一緒に走っていた人は、一瞬で焼け死んだ。
祖母がもう少し後ろにいたら、その人になっていた。
そうしたら、母も私もこの世にはいる筈もない。

その体験談を聞いた小学生の頃から、毎年8月15日は
そのことを思い出し、考えていたのだが、
この頃では、すっかり忘れつつあるのが恐ろしい。
まさに日本の戦争体験の風化である。

『夏の葬列』だって、
悲惨な戦争がなかったら生まれ得ない話だった。

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