源氏の女君たち
2008年5月15日同じ物語を読んでも、歳ごとに感想が変わるのは、当然だと
いえば当然だが、興味深い。
平安時代に書かれた、54帖にも及び世界最古の長篇小説といわれる紫式部の『源氏物語』が初めて書かれてから今年がちょうど千年だということで、「源氏物語千年紀」として昨年あたりから再出版を含めいろいろと関連イベントが催されている。
先日は、角川書店から明治時代に与謝野晶子が訳した源氏が文庫化されていたので、読んだ。昨年は瀬戸内寂聴の訳が文庫で出たので、それも読んだ。
光源氏という帝の息子であり美貌のスーパーヒーローの、若い時代の華やかな恋愛と、中年になってからの因果応報の苦悩を見事に描いたこの物語には、彼の数え切れないほど多くの女性が登場する。
昔から愛読しているが、以前は興味のなかった「空蝉」や、むしろ嫌いだった「六条御息所」に、やけに親近感を覚え、共感している自分に驚いた。
初めて源氏物語に触れたのが、小学生の頃。もちろん児童向けの簡単な文章で、深みを理解することなどできやしないが、気に入ったのは「紫の上」だった。というより、彼女の幼名「若紫」といったほうが正しい。なぜ彼女を気に入ったかというと、「生涯を通して、光源氏に一番愛された女性でした」と書いてあったからだ。
それに、雀の子を逃して泣いている少女「若紫」は、当時の私と同じ年代だったので、当然ながら親近感を覚えた。
それから次に源氏物語を読んだのは、大学生の頃。田辺聖子の訳と、橋本治の訳に触れた。当時、次から次へと恋を重ねていた時期だった私の最も気に入ったのは、「朧月夜」だった。「朧月夜」は、情熱を持って奔放な恋愛をする女性。光源氏は父親の政敵であるにも関わらず、いや障害があるからこそ炎は燃え上がった。二人の密通は世に知れるところとなり、光源氏は官職を奪われ都落ちし、「朧月夜」は帝の后として宮廷に入るはずが、傷物になってしまったので、女官のひとりとして仕えるしかなくなった。世間から見れば、二人は恋で身を滅ぼした。
そして、今回、私が惹かれたのは、先述の通り、「空蝉」と「六条御息所」だった。「空蝉」は、他の華やかな美女たちに比べ、陰の薄い地味な女性である。「六条御息所」は、権高で嫉妬深い女性である。地方官の妻である中流階級の「空蝉」と、夭逝した皇太子の后で一流の身分の「六条御息所」。まったく違う立場の二人の共通点は、教養深く、聡明な女性だったことだ。しかし、前者はそれを慎み深く賢く発揮して光源氏の心を長く掴んだのに対し、後者はそれを醜く哀れに発揮して、光源氏に疎まれる結果となった。これはとても面白い。
知的であっても、その知識が宿る人の性格によって、状況はまるで変わる。
他に、身分が高く美しく教養もあるけれど、それゆえにプライドが高く、最後まで素直になれずに死んでしまった正妻「葵の上」などにも惹かれた。この人のことも、昔はどちらかというと理解できなくて好きではなかったのだが。
逆に、小学生から高校生の間までずっと一番気に入っていた「紫の上」に、あまり魅力を感じなくなった。「源氏に最も愛されていた」というのも、よく読めば違う。正妻のような立場で、天真爛漫に源氏からの愛を最期まで一身に受け続けたのではなかった。正式な結婚をしていないので、正妻のように扱われながら実は何者でもないというコンプレックス、ライバルは源氏の子を産んだのに自分は産めない哀しみと嫉妬、中年になって今さら源氏に歳若い女が正妻として嫁いできて立場を奪われた苦しみ、晩年は病気がちで、死を目前にして源氏の我侭で望みの仏道にも入れず亡くなってしまう。…大体、本当に一番愛された女性だったのか?彼女は、結局彼の想い通じなかった人の身替りに過ぎなかった。
とにかく、他に書けばキリがないが、千年も前に書かれた物語とは思えないほど、よくできている。古びず、その心は今に通じる。
いえば当然だが、興味深い。
平安時代に書かれた、54帖にも及び世界最古の長篇小説といわれる紫式部の『源氏物語』が初めて書かれてから今年がちょうど千年だということで、「源氏物語千年紀」として昨年あたりから再出版を含めいろいろと関連イベントが催されている。
先日は、角川書店から明治時代に与謝野晶子が訳した源氏が文庫化されていたので、読んだ。昨年は瀬戸内寂聴の訳が文庫で出たので、それも読んだ。
光源氏という帝の息子であり美貌のスーパーヒーローの、若い時代の華やかな恋愛と、中年になってからの因果応報の苦悩を見事に描いたこの物語には、彼の数え切れないほど多くの女性が登場する。
昔から愛読しているが、以前は興味のなかった「空蝉」や、むしろ嫌いだった「六条御息所」に、やけに親近感を覚え、共感している自分に驚いた。
初めて源氏物語に触れたのが、小学生の頃。もちろん児童向けの簡単な文章で、深みを理解することなどできやしないが、気に入ったのは「紫の上」だった。というより、彼女の幼名「若紫」といったほうが正しい。なぜ彼女を気に入ったかというと、「生涯を通して、光源氏に一番愛された女性でした」と書いてあったからだ。
それに、雀の子を逃して泣いている少女「若紫」は、当時の私と同じ年代だったので、当然ながら親近感を覚えた。
それから次に源氏物語を読んだのは、大学生の頃。田辺聖子の訳と、橋本治の訳に触れた。当時、次から次へと恋を重ねていた時期だった私の最も気に入ったのは、「朧月夜」だった。「朧月夜」は、情熱を持って奔放な恋愛をする女性。光源氏は父親の政敵であるにも関わらず、いや障害があるからこそ炎は燃え上がった。二人の密通は世に知れるところとなり、光源氏は官職を奪われ都落ちし、「朧月夜」は帝の后として宮廷に入るはずが、傷物になってしまったので、女官のひとりとして仕えるしかなくなった。世間から見れば、二人は恋で身を滅ぼした。
そして、今回、私が惹かれたのは、先述の通り、「空蝉」と「六条御息所」だった。「空蝉」は、他の華やかな美女たちに比べ、陰の薄い地味な女性である。「六条御息所」は、権高で嫉妬深い女性である。地方官の妻である中流階級の「空蝉」と、夭逝した皇太子の后で一流の身分の「六条御息所」。まったく違う立場の二人の共通点は、教養深く、聡明な女性だったことだ。しかし、前者はそれを慎み深く賢く発揮して光源氏の心を長く掴んだのに対し、後者はそれを醜く哀れに発揮して、光源氏に疎まれる結果となった。これはとても面白い。
知的であっても、その知識が宿る人の性格によって、状況はまるで変わる。
他に、身分が高く美しく教養もあるけれど、それゆえにプライドが高く、最後まで素直になれずに死んでしまった正妻「葵の上」などにも惹かれた。この人のことも、昔はどちらかというと理解できなくて好きではなかったのだが。
逆に、小学生から高校生の間までずっと一番気に入っていた「紫の上」に、あまり魅力を感じなくなった。「源氏に最も愛されていた」というのも、よく読めば違う。正妻のような立場で、天真爛漫に源氏からの愛を最期まで一身に受け続けたのではなかった。正式な結婚をしていないので、正妻のように扱われながら実は何者でもないというコンプレックス、ライバルは源氏の子を産んだのに自分は産めない哀しみと嫉妬、中年になって今さら源氏に歳若い女が正妻として嫁いできて立場を奪われた苦しみ、晩年は病気がちで、死を目前にして源氏の我侭で望みの仏道にも入れず亡くなってしまう。…大体、本当に一番愛された女性だったのか?彼女は、結局彼の想い通じなかった人の身替りに過ぎなかった。
とにかく、他に書けばキリがないが、千年も前に書かれた物語とは思えないほど、よくできている。古びず、その心は今に通じる。
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