花火
2008年8月9日実家には、縁側がある。
祖母が念入りに糠で磨く縁側で、
沓脱石に小さな足を揃えて座り、
綿コーマの浴衣に兵児帯を締めて、
熟れた西瓜を頬ばりながら、
西の夜空に上がる花火を鑑賞する。
空を彩る巨大な光の花の美しさに圧倒され、
開いた唇からダラリと西瓜の汁が衿に垂れた。
白地の浴衣に朱色の染めを作り、
あっと思った時には母にきつく叱られる。
幼い頃の、夏の記憶。
遠くの川べりの花火大会が終わった後、
耳鳴りがするほど静寂の蒲団の闇の中で、
欄間の彫りに目を凝らし、
銅の風鈴の、チリーンと冴える音とか、
藻が透ける小川の、サラサラと流れる音などに
耳を澄ませ、それを頼りに
轟音の饗宴の前の聴力を取り戻したものだった。
明日、数年ぶりに戻る郷里。
今年あつらえたのは、綿紅梅の浴衣。
目の前にたたまれている。
柄は、小紋型の紺地花鳥。
もし、再会が実現するとしたら…と、
来週の支度を思い浮かべる。
綿紅梅は透けるので、下には海島綿の肌襦袢を。
麻の半襟に、麻の名古屋帯。
帯揚げは絽地桔梗の飛び絞り、
帯留はバラの意匠の白珊瑚を合わせよう。
姿見の前で振り返り、結った髪に鼈甲の簪をさす。
夏草履に足をそっと入れて、格子の戸をカラカラと開ける。
扉から門まで続く両脇の木々の濃い緑の合間で
灯籠の淡い光が、アプローチを照らす。
右手には、絽ちりめんの信玄袋とすす竹の籠バッグを、
左手には、透かし文様の京うちわ…。
子どもの頃は、家の縁側から遠く眺めた花火大会も、
中学生になってからは、河川敷まで赴くようになった。
恋人、と呼ぶにはまだ幼い関係だったけれども。
なにしろ、家族ではない異性と、夜に手を繋いで歩くということに
悦びより後ろめたさを感じていたぐらいの“箱入り”娘だったから。
自分にそんな時代があったなんて、微笑ましく懐かしいが…
その時に着ていたのも、安物の綿コーマだった。
さすがにもう兵児帯ではなかったけど。
高校生になって、綿絽の浴衣を買ってもらったときは心底嬉しかった。
母が着る浴衣に近い地。少し大人になった気がした。
高校の3年間は、夏祭りにはその浴衣ばかりを着たものだった。
(とても気に入っていたけれど、今の私にはもう似合わない色と柄なので、随分前に年下の従妹に遣ってしまったが。)
そして十年が経ち、今では親の見立てでなく自身であつらえる。
生地も、綿絽でなく綿紅梅、絹紅梅、絞り…より高価かつ上質なものを。
染めも、昔はピンクやブルーなど華やかな色を好んだけれど、
今は白地や紺地のほうが心地よい。
上質な生地で仕立てた浴衣を纏い、
職人の手により丹念に作られた小物で装えば、
何となく、自分の中身までが凛として
上質なものへと変化した気がする。
頭の中で、支度はこのように完璧。
あとは、野球の試合が終わった後に、電話をかけるだけ・・・
この紺地花鳥の綿紅梅で、花火を間近に見られるかどうかは、
そのゆくえ次第。。
それにしても、
綿絽の青地の浴衣姿を、当時は見せる対象でもなかったのに、
綿紅梅の紺地の浴衣姿を、見せたくてたまらないなんて、、
時の流れはとても不思議。
この十年で得た手管などすべて捨て、いっそ綿コーマの時分の心で逢いたい。
祖母が念入りに糠で磨く縁側で、
沓脱石に小さな足を揃えて座り、
綿コーマの浴衣に兵児帯を締めて、
熟れた西瓜を頬ばりながら、
西の夜空に上がる花火を鑑賞する。
空を彩る巨大な光の花の美しさに圧倒され、
開いた唇からダラリと西瓜の汁が衿に垂れた。
白地の浴衣に朱色の染めを作り、
あっと思った時には母にきつく叱られる。
幼い頃の、夏の記憶。
遠くの川べりの花火大会が終わった後、
耳鳴りがするほど静寂の蒲団の闇の中で、
欄間の彫りに目を凝らし、
銅の風鈴の、チリーンと冴える音とか、
藻が透ける小川の、サラサラと流れる音などに
耳を澄ませ、それを頼りに
轟音の饗宴の前の聴力を取り戻したものだった。
明日、数年ぶりに戻る郷里。
今年あつらえたのは、綿紅梅の浴衣。
目の前にたたまれている。
柄は、小紋型の紺地花鳥。
もし、再会が実現するとしたら…と、
来週の支度を思い浮かべる。
綿紅梅は透けるので、下には海島綿の肌襦袢を。
麻の半襟に、麻の名古屋帯。
帯揚げは絽地桔梗の飛び絞り、
帯留はバラの意匠の白珊瑚を合わせよう。
姿見の前で振り返り、結った髪に鼈甲の簪をさす。
夏草履に足をそっと入れて、格子の戸をカラカラと開ける。
扉から門まで続く両脇の木々の濃い緑の合間で
灯籠の淡い光が、アプローチを照らす。
右手には、絽ちりめんの信玄袋とすす竹の籠バッグを、
左手には、透かし文様の京うちわ…。
子どもの頃は、家の縁側から遠く眺めた花火大会も、
中学生になってからは、河川敷まで赴くようになった。
恋人、と呼ぶにはまだ幼い関係だったけれども。
なにしろ、家族ではない異性と、夜に手を繋いで歩くということに
悦びより後ろめたさを感じていたぐらいの“箱入り”娘だったから。
自分にそんな時代があったなんて、微笑ましく懐かしいが…
その時に着ていたのも、安物の綿コーマだった。
さすがにもう兵児帯ではなかったけど。
高校生になって、綿絽の浴衣を買ってもらったときは心底嬉しかった。
母が着る浴衣に近い地。少し大人になった気がした。
高校の3年間は、夏祭りにはその浴衣ばかりを着たものだった。
(とても気に入っていたけれど、今の私にはもう似合わない色と柄なので、随分前に年下の従妹に遣ってしまったが。)
そして十年が経ち、今では親の見立てでなく自身であつらえる。
生地も、綿絽でなく綿紅梅、絹紅梅、絞り…より高価かつ上質なものを。
染めも、昔はピンクやブルーなど華やかな色を好んだけれど、
今は白地や紺地のほうが心地よい。
上質な生地で仕立てた浴衣を纏い、
職人の手により丹念に作られた小物で装えば、
何となく、自分の中身までが凛として
上質なものへと変化した気がする。
頭の中で、支度はこのように完璧。
あとは、野球の試合が終わった後に、電話をかけるだけ・・・
この紺地花鳥の綿紅梅で、花火を間近に見られるかどうかは、
そのゆくえ次第。。
それにしても、
綿絽の青地の浴衣姿を、当時は見せる対象でもなかったのに、
綿紅梅の紺地の浴衣姿を、見せたくてたまらないなんて、、
時の流れはとても不思議。
この十年で得た手管などすべて捨て、いっそ綿コーマの時分の心で逢いたい。
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