It’s Now or Never

2008年4月19日
同じフロアとはいえ、仕事は無関係なので、
見つめまくってアピールしなければと思いつつ、
視界に入ると、視線を向けることができない・・・何このシャイガール?
と、自分に突っ込みたくなる。

とにかく、見ないと。じっと。
あの子、俺のこと見てる?と気づかせないと。
多数の女性社員の一人じゃなくて、「特別」に昇格させないと。
と、方法は分かっているけど、何せ、実行がタイヘン。
正攻法は難しい。

そして、ふと思う。

相手の具体的なことを何ひとつ(性格すら)知らない。
まるで“中高生の先輩への片想い”みたいな恋心は、
容量としては今がピークで、あとは減る一方なのだろう。
実情を知れば知るほど幻滅していって、ゼロになった時に恋は終わる。
恋は、容量減らしの感情活動。

愛は、逆で、増やしていく作業。
相手の欠点は減量ポイントにならない。
私の、私の恋人への感情は、だから、愛情なのだ。
少しずつ、少しずつ、積み上がっていく。

愛情を保つことは、精神的に心地よい。
恋愛の刺激は、肉体的に気持ちよい。

恋人と育む穏やかな愛情の中で、
めらめらと身を焼くような情欲は反比例して失われていく。
それを埋めるための恋なのだろう。
心ときめくのは、子宮の呼ぶ性欲と等号で結ばれる。
片想いといえば純粋に聞こえるが、満たされない性欲を抱えているに過ぎない。
それを分かって、それを楽しむ。
それが、中高生の頃の恋と、大人になってからの恋との違いだ。

ところで、ここ最近、私の脳内BGMでずっと流れ続けているのは、
エルヴィスの「It’s Now or Never」。
毎朝、支度しているときにリピートでかけるおかげで、
仕事中も頭の中で流れている。

(今月からOAの酒のCMに使われているが、エルヴィスの曲が日本のCMに使われるのは初めてのことらしい。一体どれだけのお金を積んだのか?)



It’s now or never
come hold me tight
Kiss me my darling
be mine tonight
Tomorrow will be too late
it’s now or never
My love won’t wait

When I first saw you
with your smile so tender
My heart was captured
my soul surrendered
I’d spend a lifetime
waiting for the right time
Now that your near
the time is here at last

It’s now or never,
come hold me tight
Kiss me my darling
be mine tonight
Tomorrow will be too late
it’s now or never
My love won’t wait

Just like a willow
we would cry an ocean
If we lost true love
and sweet devotion
Your lips excite me
let your arms invite me
For who knows when
we’ll meet again this way

It’s now or never
come hold me tight
Kiss me my darling
be mine tonight
Tomorrow will be too late
it’s now or never
My love won’t wait

ロマンティックなメロディーと甘い歌声、
だけど切々と歌う内容は、
要は「今夜やらせてくれ」(笑)

なんてストレートな情愛。
恋の到達点は、しかし結局ここなのだ。
恋というのは、人間の感情の中で一番、動物的なのかもしれない。
狩猟本能。
狩りたい。生の実感。おいしそうな獲物。

「今夜、私のものになって」

恋猫

2008年4月17日
好き、とか嫌いとか、憎らしいとか、愛してるとか

喜怒哀楽 さまざまな感情をごった煮にして

身の内からふつふつと沸きあがらしてくれた人もすでに去り、

同じく桜も散り、

落ち着いた日々を過ごしている―と思う間もなく、

すでに目移りしている私は、恋をしやすい女だと一言で片付けてしまっていいのかどうか。我ながら悩む。


人事異動というのは、ある人が去って、別の人が入ってくる行事。

年下は懲り懲りと思っていた私の前に現われた、年上のあの人に、半月にしてすでに心奪われている。

…といっても、フロアは広いし、所属チームも別なので、絡んで仕事をすることはないし、席を立ったときに視界に入るぐらい。

そう、まるで中学生の妄想の恋のレベル。

日々、何かを思ったり、何かを知ったり、些細なことで喜んでみたり。
そんな段階。


―背が高いなぁ。180cm、あるのだろうか? とか、

―たまにかける眼鏡が知的! とか、

役職的に30代半ばかしら?と思っていたら、まだ30過ぎだった! とか、

勝手に既婚者だと思い込んでいた…ら、未婚だった(!!) とか。


そんなふうに半月を過ごしてきた今日、帰り際、エレベーターを降りたら、深夜の社員用通用口でバッタリと会った。

今までにない、1m圏内の至近距離で、互いの目が合う。

「お疲れ様です」と挨拶。向こうも「お疲れ様です」と返してくれて。

あぁ。ただの挨拶だけど、初めて言葉を交わした。

と感激する。

こういうことから、始まっていくのね。いろいろと、いろいろが。



―マンションで私を待つ恋人は、私のことを「猫みたい」と評する。

理由は、「わがままで勝手、でも可愛いから」なんて言ってくださる。が、

まさか、本当に猫のごとく、

外で別の人にえさをもらい、違う名で呼ばれ、

そして何知らぬ顔で飼い猫ヅラして家に帰ってきて眠っているなんて・・・・誰が言えよう。


少し前まで、そうやって可愛がってくれていた人はいなくなったので、
また新しい人にしっぽをすり付けようとしている恋猫は、
初めての挨拶の後、そのまま歩調を合わせて隣の位置をキープして地下鉄の駅まで行こうかと、
ふと思ったのだけれど、唐突に近づくのは今日はやめておこうと思い直した。

今日は、挨拶だけ。そのほうが、後々までひとつずつ楽しめる。

大きな背中を見つめながら歩く。

あのスーツの下に隠れている、裸の大きな背中に触れる日は、来るのかしら…

なんて妄想しているうちが一番楽しいこと、よく知ってる。





「恋猫」とは、春の季語。

なぜ春の季語かといえば、猫は春に発情するからだ。

桜の樹の下には

2008年4月1日
桜の樹の下には屍体が埋まっている!

これは信じていいことなんだよ。

何故って、桜の花があんなににも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。

俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。

しかしいま、やっとわかるときが来た。

桜の樹の下には屍体が埋まっている。

これは信じていいことだ。



お前、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、

一つ一つ屍体が埋まっていると想像して見るがいい。

何が俺をそんなに不安にしていたか、お前には納得が行くだろう。



俺には惨劇が必要なんだ。

その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。

俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。

俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んで来る。



――お前は腋の下を拭いているね。冷汗が出るのか。

それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。

べたべたとまるで精液のようだと思ってごらん。

それで俺達の憂鬱は完成するのだ。



ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!

(梶井基次郎/1927年10月)

遭難

2008年3月26日
先週まで蕾だった桜が、いつの間にか満開になっている。

そして、事故。

彼に遭ってしまった。

交差点の夜桜の下で。

そう、「逢った」ではなく「遭った」だ。

-----

広いフロア、多層階のビル ですれ違った日々。

会わない日のほうが多いし、偶然会えば驚いたし、

そんな環境で、もうこのまま会わずに済むと思っていたのに。

-----

面と向かって「さよなら」と言ったのがつい先週で、

このままあと幾日かで、弥生を終えて 永遠のお別れ。

そういう覚悟で今月を生きてきたのに、

すり減らした寿命は、無駄だったというわけ。

こんなふうに遭うなんて―――むなしい。


-----

メールでいつも「会う」を「逢う」と書いた貴方。

私、それだけはずっと厭だった。

「会いたい」も「逢いたい」と書かれれば意味が変わる。

どんなに仕事が多忙で、責任を思えば到底抜けれない時でさえ、

「逢いたい」という文字を見れば、無理矢理にでも抜けざるを得ない、

麻薬なように甘やかで魅惑的なこの字が、ずっと厭だった。

-----

おあつらえの夜桜の下、信号の点滅はスローモーション、
人々の声や行き交う車の音、街の喧騒も、遠い遠いBGMと化す。

(やっと、逢えたね。)

(……。)

(俺のこと、避けてたろう?)

(……。)

(せっかくだから、、、。)

(…家に帰らなきゃ。)

(まだこの時間だし、いいだろう? ―最後なんだから。)


その瞳で言う、罪。

―最後なんだから。

―最後、なら……

-----


私は意志が弱い。


-----


もしくは、あなたの肌が 指が 唇が 瞳が 魅力的すぎる。


-----


「最後だから」「最後だ」「最後ね」。


何度つぶやいたか「最後」。

それは次第にささやきとなり、違う意味を帯び始める。

―いけない。これ以上は。

-----


腹を満たし、欲を満たす。何度も。


-----

遭難。

私の心が、遭難している。


決心の後に遭ってしまって、

一体、どうやって。

どうやって、無かったことにすればいいの?


-----


逢いたくなかったのに。

遭ってしまった

嵐。

もしくは炎。

突然、炎のごとく。

それはトリュフォーだけど。

つむじ風を歌ったのは、ジャンヌ・モロー。


-----


まぶたの裏が真っ赤に燃えている。

熱い血汐、

今、生きている、と強く実感した。


-----


―破裂、そしてまた破裂―


-----

ああ、何もかも。

何もかも何もかも。無かったことになればいい。

あなたも、私も、あの人も、すべて。無かったことに。

-----

そう思えるまで、体にそう覚えさせるため、そう感じるまで、

何度も何度も何度も、ああ、もういらない、と思えるまで。

遭難した。

-----

血液はすべて流れ出て、私の身体の中には今何も残っていない。
千世がついおきあがろうとすると、眠っていたとおもった男の手がぐっと肩にのびて来て、
「きみはじつにうつくしい。」
そのことばの中に、くちびるが合った。

うつくしい。

それこそ千世のほうから発しようとしたことばであった。

毛ほどのすきも無いと見えた昼の服飾を脱ぎすてて、
青年の素はだかは申分なく、
すこやかな四肢の、骨太に力を秘めて、
照る肌の色、燃える血のにおい、
すべて千世が今までに夢みたかぎりのいかなる男性の像をも越えたところに、実物の威令が破裂した。

たちまち、ふたり一体に、炎のとぐろを巻きあげて、恋は成就した。
むしあつい夜は油のように快適であった。
千世はあえぎのはてに眠り、
眠の底に沈んで、何も見えなくなった。

この部屋のけしきのきたなさ、まずしさ、みじめさは、
すべて炎に焼き消されたようであった。

(石川淳「まぼろし車」より/1956年)
お互い

惹かれ合っているのに

目をそむけ合い、

「心」を掴みあぐねて

距離を測り合う

そんな年月でした



あなたの前だけでは 自制が効かず

数々の 大人げない振る舞い

すべてを水に流せるのは いつの日か



あなたの 目

あなたの 髪

あなたの 指

あなたの 肌



夢ではなく 現実に於て、 その顔を拝見し、気づく



愛していた     ・・・・初めから



触りたい   もう一度     触れられたい   もう一度



「心」を込めて、そっと触れる ピアノの鍵盤
奏でるショパンのエチュードNo.3は
別名 別れの曲 と言います
これをあなたに 贈ります

徳を積む

2008年3月22日
口元がひきつるほど腹立たしい時こそ

こわばる頬の力を ふっと抜いて 微笑むこと


平手打ちしたいほど憎らしい時こそ

怒りに震える手を そっと差し出して 握手すること


耐えて 心の大きな人の振りをする

偽善も 繰り返せば いつか慈善になろう

それが自然と身につく日には 「徳」となるにちがいない

飲んだくれの朝

2008年3月20日
昨日は、久々に外で飲んだくれたのが面白かったので、
あえて日記に残してみることにする。


今回なかなか苦しませてもらった長期プロジェクトの終了打ち上げを称し、主要制作スタッフ4人で集まって、某高層ビルの高級鳥屋で19時半より酒宴をスタートし、いつもならこの時間は余裕で残業初期段階の頃だというのに!と歓喜しながら、手始めに生ビール、それから1杯1000円ほどの焼酎をロックで頼み、それを少なくとも7〜8回は繰り返し、もう十分だと思いながらも、その上さらにワインを1本開けていたら、いつの間にやら23時で閉店時刻、店長から若干白い目で追い出されたのだが、そんなことはまったく気にしないKY4人組。


しかし社会人なら、この段階で翌日が火曜で平日で、つまり出勤だということを考えて帰宅すべきなのだろうけど、完全に酔っ払った同僚の「もう1軒いきましょ〜よ〜」が決め手となり、私の道案内にて、アメリカンバーに行くことになって、その店のメニューはハンバーガーやピカタなどの、ろくでもないジャンクフードしかなく、どこかできちんと食事を取ってから入ったほうがよいような料理を出すが、ジュークボックスやダーツがあるのでツールには事欠かず、何より雰囲気がアメリカンで(笑)、まさに二軒目に最適な店で、といっても、もう4年ほど行っていなかったのだけど、その4年前の最後の訪問のときは、同郷の男友達と二人で行って「付き合ってほしい」なんて唐突に告白とやらをされたんだっけと、記憶がよみがえるけれど、それ以上に酔いが回っていたようで、ハイヒールの足どりがふらふらしてきたところで、店がある通りへ到着したというのに、一帯は暗く、しばらくうろうろしたが、店が閉まっているのか、まさか潰れてしまったのか、とにかく店がやっていないことだけは確かで、歩かせた同僚たちに侘びつつ、それを潮時にしても良かったけれど、皆まだ飲む気満々だったので、さらに歩いて、とある生演奏バーへ。


時はすでに23時半ごろ、楽しみにしていたバンド演奏も終わってしまっていて、客は一人もおらず、いつものことだがマスターは完全に酔っ払って、顔真っ赤にしてゆらゆらしていて、私もいつものサングリアをデキャンタでオーダーして、ふと隣を見ると「もう1軒いきましょ〜よ〜」の同僚は、酔いつぶれてすやすやと眠っていたので苦笑しつつ、残る3人でサングリア片手にあれこれを語っていたら、いつの間にか我が社の体制について真剣議論となり、酔いが手伝って興奮気味にアツく、「今のままじゃこの会社は5年後には終わってるね!」と熱弁をふるう私と、力強く頷く同僚たち。


そんな情景はよく覚えているのだが、どういう理由づけでそんなアナーキー発言したのか、まったく覚えていなくて、何か論理的に主張していたコトだけは覚えていて、まさに前後不覚、それもまたよし、いや、よくない、という自問自答をいったりきたり。


そうこうするうちに、時計は1時を過ぎていて、ふらふらのマスターから「そろそろ…」と切り出されたので、店を出てタクシーに乗って帰宅することにして、車1台でめいめいの家を、順ぐり回ってもらうことにしたけれど、全員違う区に住んでいるので、結構距離があり、二人目まで落としたところで、さすがに疲れも出てきて一刻も早く家のベッドに倒れたい気分になってきたし、家のある順番的に私は三番目で降りるつもりだったが、酔い潰れてぐぅぐぅ寝ている「もう1軒いきましょ〜よ〜」娘を最後に放置していくわけにはいかないと思い直し、彼女の家が一番遠いのに先に送ることにしたのは、やはり私のほうが彼女の二つ年上だから。


深夜で道がすいているとはいえ、40分以上タクシーに乗っていれば、時間的にも酒の回り的にも、多少、いや、結構うつらうつらしてくるが、ここで私まで崩れたら絶対この運転手は遠回りをするだろうと見て、必死に眠気を我慢し、メーターと睨めっこしつつ、彼女を無事降ろしつしていたら、深夜の割り増し料金で基本料金は高くなるも、長距離割り引きで、プラマイゼロで、結果的に1万円を払って降りることとなって、あれだけいいものを食べて飲みまくったのに、飲食代金よりタクシー代のほうが高いって何だかなぁ、と不服に感じながら、マンションに着いたら、そんなことはすぐに忘れて、ろくに化粧も落とさずベッドに直行して、泥のようにばったりと深く深く深く眠りに落ちた午前2時。


今朝出社すると、意外なことに私以外の3人も、昨夜何事もなかったかのように通常通りに出社していて、あれだけの量を飲んだたなら、誰か一人ぐらい体調不良、要するに二日酔いでダウンして、出社がゆるい我が社のこと、電話一本で簡単に昼出社でもしそうなものなのに、大量のアルコール摂取をまったく引きずらず、午前中からばりばり仕事をしているというのが、すごい、恐るべし、やっぱりうちの社員はタフだ、と再認識して、このタフさがあれば、我が社が5年後に終わることもないだろう(笑)と昨夜の発言を一人こっそり撤回し、それにしても、営業の若手たちがよく酒宴と称したコンパで平日からで乱痴気騒ぎをして翌朝グッタリしているのを見て、「平日からバッカだな〜」と思っていたけれど、たまにはこういうヤンチャも良いな、とほくそ笑んでみたり、でもそれなりに体力を消耗するので、半年に一度が限度だけど、と自分の年齢とお肌をいたわってみたり、つれづれ想いを馳せて過ぎゆく飲んだくれの朝なのだった。



…と、さして意味もない、ただの飲み会の話を、
流行に乗って(?)ある作家の文体を真似て書いてみた(笑)

今こういうテイストでブログ書いちゃってる人も多いんだろーなー・・・

しかしあの新米作家の、作品よりも彼女自身のちょっとキテレツな佇まいが気にかかる。

聡明な人

2008年3月15日
“自死”は、社会からの逃避でなく、社会への挑戦である。

と、言い切る人がいた。

自分の人生を無に帰してまで、突きつけたい挑戦とは何なのか。

自らの生命を犠牲にしなければ、存在証明ができないのか。

そんな哀れな魂か。肉体か。

客観的に見れば、すべての感情、言動、行動、そして思考すらを

論理的に学術的に解析したがるその悪癖が、原因なのだ。

人並み外れて聡明な人の、脳の構造の功罪。

渡せなかった手紙

2008年3月10日
今日は妙な夢を見て目が醒めた

学生の時分のような手のこんだ装飾を添えた手紙を

本人ではなく 本人の上司のデスク上に

彼に手渡して欲しいというメモとともに置くが

上司は出先からデスクに戻ってくると

何とその手紙を無遠慮にも開封しているのが見えて 驚き

焦って走って近づくと その手紙は

私が書いたものではなく 別部署の女性のもので

しかも その女性は 気持ちを隠し通していた私とは違って

彼に常日ごろから浅ましいほど好意を見せていたのだった

そんな彼女と そんな私が まったく同じ手段

封筒・便箋すら同じもの

急にすべてが馬鹿らしくなり

その手紙の下に重なっていた私の手紙を抜き取り

もういいです と言い残して去ろうとすると

上司は そうか、と無責任に哀れみをこめた同情で微笑んだ

しかし その笑顔がやけに魅力的で 不本意にも思わず心臓が鼓動し

浅ましいのは自分ではないかと

そう思うのは目が醒めた後のことで 夢の中では心奪われている

夢から醒めれば 夢の内容に我ながら呆れつつも

色鉛筆で彩った手紙だけが やけに眼の裏に焼きついている

そういえば と ふと思い出す

高校生の頃 通学電車で見かける他校の先輩に想いを寄せ

その人が大学受験で間もなく その電車にも乗らなくなる時期

もう二度と会えなくなるのなら と思い切って

この名も知らぬ人へラブレターなるものを書いて渡したこと

手紙を書こうと思い立ったのも そう今日のように

風邪で熱があった日だった

熱に浮かされると 人間の脳は思考力が落ちる

落ちるのか 恥を失うのか とにかく理性が吹っ飛びがちである

10年経っても同じ思考回路で 馬鹿か私は、いい歳して

と 自分で自分をあざ笑う

あの時の手紙 名も知らぬ人は 今でも持っているだろうか

それとも とうに捨てたかな

どちらでもいい

恋をしていた彼のことは消えて 彼に恋をしていた自分のことだけがくっきりと残っている

しかし 私の中の彼は 今でも詰襟姿の学生さんだ

もうすぐいなくなるあの人も

夢の中ですら 理性が勝って手紙を渡すこともないけれど

こうして 私の中で

10年経っても 20年経っても

好意の対象だった彼の存在は消えて 彼に好意を寄せていた自分の日々だけが色濃く残るだろう

そして その中で 彼はいつまでも

瑞々しい肌と若々しい笑顔のままで

愛憎の彼方

2008年2月29日
今日 ある瞬間に

プツッ と糸が切れて

終わった

私の中で。

***********

「愛憎」という言葉があるように

愛と憎しみは表裏一体

いつでも簡単に ひっくり返るという

だけど、

愛の裏返しの憎しみでもない

遠い彼方の

無関心へ

ヒュゥルリと

飛ばしてしまった 春一番

***********

同じ空間に生きていても

さよなら

お元気で

…と 心の中 別れを告げる 無表情

***********

あと数ヶ月で物理的な別れがやってくると決まってはいたが

私にとって その時期が早まったに過ぎない

***********

皆にとって先の別れも 私には

今日 この瞬間

糸の切れた瞬間

***********

切らなければならなかった糸


半年以上もかかって ようやく切れた




築いた2年間も 何もかもすべて さようなら

思索の生む罠

2008年2月25日
恋人の不在の夜

思索の果てにあるのは狂気だという

深夜に明治の文豪の作品を読了し

そのまま思索を続けて朝を迎える

まるで学生時代のようだ

思索の生む罠

知性から生れた孤独による他人への不信

只現実だけを見詰めて生きている者にとっては

迷惑甚だしい話だけれど

思想の上で姦通を妄想し、それに憑り付かれ

我が弟に我が妻と一晩過ごせと命ずる兄の遣り切れなさ

解るような 解らないような

ところで

体を伴わない精神のみの姦通は罪か否か

現実に形が現れなければ誰にも確たる証拠は掴めない

心の中の思慕は 許されるか 否か

いのち

2008年2月23日
どうして このように生まれてきたのだろう

宿命の複雑さ

宗教に言わせれば 生まれながらに罪があるという

また別の宗教によると 前世で罪を犯したからだという

いずれにせよ

捨てられない 生まれながらの運命を背負って

生きて行く

この体ごと

この心ごと

この命ごと

尽きる日まで

天命を 抱えていく

荊の道

2008年2月20日
いばらの道でも

引き返すな  突き進め

足の裏には無数の棘が刺さるだろう

体中から赤い血がしたたるだろう

分かっていても

引き返さない

引き返せない

それが 女の道というものだ

ガラス細工の

2008年2月19日
落としたら 壊れる

そうしたら

もう

二度と 元には戻らない

ガラス細工のような それを

そうと知っていて

一体どれだけ壊せば 気が済むのだろう

何度も

何度も 落として

破片が粉々になるまで

砕け散って 無くなってしまわなければ

気が済まないのだろうか

なんて行き詰っているのだろう

心を壊すことが 愛の表現だなんて

恋はいくつでも

2008年2月16日
恋はいくつしていても、多過ぎるということはない

いろんなタイプの服を着こなすように

いろんなジャンルの音楽を聴くように

いろんな国の料理を日替わりで食べるように

恋愛もいろんな種類を楽しんだっていい

むしろそれが健康的

あなたには恋 彼には愛 あの人には情欲 

そうやって役割分担をして

切ない片思いに浸ってみたり 欲望のまま流されてみたり

生涯を共に歩もうと誓ってみたり

いろんな対価を与えることで 自分自身が満足できる

勝手、と言われればそれまでだけど ひとつの恋じゃ足りないわね

もっと気軽に恋をすればいい

そんなに慎重にならないで そんなに落ち込まないで

そんなに悲しまないで   そんなに真剣にならないで

そんなに思いつめないで あなたにふさわしくない

たくさんの男といろんな形で愛し合い
数年後に誰か一人残ればそれでいいじゃない

えぇ、なんとでも

そう、なんとでも

ただ、心の奥底から感じるがままに 恋をなさい

Mr.GOLD

2008年2月15日
重ねた年齢

それに伴って積んだ

キャリア

経験に裏付けられた

自信

それが生み出す

余裕

そこから溢れる笑み

…駄目

落ちる


恋に? 色情に?


いずれにせよ、高層ビルの最上階のバーと夜景とシャンパンの泡が、貴方はあまりに似合いすぎて、そのセリフを茶化すことすらできない。

かがり火が幻惑する舟で川を下った日から指折り数えて、

今夜も、

あの日のように、指が触れる機会をうかがう。

目が眩みそうな夜景。

いろいろなものを見失いそうなほど、まばゆかった。


黄金色の時。

黄金色の泡。

12時過ぎても、はじけなかった。

けれど、「今日は帰ります」。


次はいつ逢える?と、訊かれても曖昧に笑みを浮かべて首を振る。

私はまだ貴方のものにはならない。

焦らないで。

じらす楽しさを教授したのは、貴方だから。

ゆっくり。

ゆっくり、謀り合いましょうよ。

Mr.Gold

体中が黄金でできているような貴方。

心、此処に在らず

2008年2月14日
今日は一日、ぼーっと、

心ココニアラズ。


体はあるし、手は動いているし、頭も働いて、仕事をしている

けれど、心はどこかへ浮遊。


此処ではない、遠いどこかへ。


たとえば、赤道に近い南の国とか。

たとえば、街道に花咲き乱れる春とか。



此処じゃない場所、今じゃない時間、へ抜け出す。


現実が、緩やかに飽和している。

溢れ出す心。

違う世界へ流れゆく。


そもそも、「心」って何だ?

ねぇ、何?

そうじゃない

2008年2月13日
約ひと月ぶりに「見て」も、すれ違いざまに軽く頭を下げるだけの

社交辞令

相変わらず つれない態度

駄目 このまま

終わっていきそう

そうじゃないのと呟きながら

どうしようもない 仕方ない 仕掛けたのは私

a Day in the Life

2008年1月1日
ねぇ、私たちの選択は正しかったのかな?

覚悟して前へ突き進んでいるはずなのに

時々ふと不安に襲われる

もう 戻れない


刹那の衝動に導かれるまま

周囲が褒めそやすfameを捨てた

君は 今ごろ誰といるのだろう

…そんなこと 思うだけ無駄だけど

思わずにはいられない


当時の音を聴けば 溢れ出す気持ち

こんな青さは とうに卒業したはずなのに


苦しい


* * * * * * * * *

夜は闇と化すような田舎町での長い滞在をひとまず切り上げ東京へ/久しぶりに佇むこの街/目が眩みそうな光に疎外感を感じ/暫く放棄していたネイルを丹念に塗っても…/これは一体誰のためなのか/着飾ることも/華やかと羨まれる仕事も/ひとときの情事に溺れることも/永遠の愛を求めることも/すべては/あの過去に自分で作った奈落を/少しでも埋めようと/必死に繕っているだけなのかもしれない/空恐ろしい/孤独/新しい年の始まりに纏う絶望/人生で最も無知な幸福を謳歌した時代を振り返れば/It was a perfect Day in the Life

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