Question.

2007年8月27日
「われわれはどうやら曲がりなりにも
あの当時の夢を実現させたようだ

しかしいまになってわれわれはかえって
あの当時のほうを夢のように懐かしがっていはしまいか」

横溝正史 1929.2『新青年』誌に発表の短篇より

divergence

2007年8月22日
恋と性衝動は同じものだという。
胸がときめくのは、性的に興奮している証拠。
精神が高揚し、脳内物質が放出された状態。

そんなこと、知ってるさ。

恋なんてたったそれだけのこと、と言い切ってしまうなら
たったそれだけのことに、人は苦しんだり悩んだり、
時に命を断ってしまったり、あてもなく何年も待ったり
じゃあ、そういう葛藤って、そういう辛抱って
一体なぜ存在する?

…ねぇ、
この狂おしさは永遠に続くのだと思っていたよ。
だけど、それはただの思い違いで、
何事もなかったかのように
あっけなく通り過ぎていった。

残ったこれが愛だというならば…

あのこも、あなたも、
そう悟って
ずっと大切にしてきたものを、
未練も躊躇もなく
あっさりと捨ててしまうんだね。



かつて抱いた夢なんて、幻想だった。
青い時代は、過ぎ去ってしまった。
そしてあとは、寿命の果てに向かって枯れていくだけ。

孤独や痛みを抱えながら彷徨うことが、もう怖い
闇の中で手探りで歩く勇気が、もはや無いのだと
そして彼女たちは、安息の場所へ逃げ込んだ
それが自分の生涯にとって幸福なのだと考えて。

…私は相変わらず光と闇のはざまで揺れている。

でも最近気付いた事。
昔、あんなに心を寄せた言葉たちにも、同調しないんだ
その代わり、無常観が波のように押し寄せてくる

あの胸に飛び込めば、私も楽になれたのだろうか
それは、本当に、甘く素敵な終着点なのだろうか
自分へ問いかける。

あの時あの手を離してしまった自分を責めたって時は戻らないから

ただ、私は、前を向いて現実と闘い続けるだけ

自分を見限った瞬間、すべて終わるから

突き進むことは、決して莫迦なことなんかじゃないと信じて

皆が私を強い人間だと賞賛する
その賞賛の裏に潜む好奇
自分たちとは違う選択をした生き方についての考察
そして行方を観察している
じっと目を凝らして。

かつて同じ道を歩いた私たちも分岐した今、
あなた方はあなた方の生き方
私は私の生き方

だから、だから
さよなら

それから ありがと

慰め・馴れ合い・舐め合い
そういうの もういらないの

ただずっと、歩き続ける
私自身が目指す場所に、辿りつくまで
誰かと、それともたった一人で

とにかく
最期の瞬間に見える美しいもののため
私が守る大切なもののため

私は今ここにある私のこの脳や体や心を誇りに思って生きている
もう戻れないよ
どんなに懐かしく想っても
あの頃確かに楽しかったけど
それは今じゃない

思い出している いつも不器用な
幕の引き方をしてきたこと

君はどこにいるの
君はどこへ行ったのか
遠い旅にでも出たんだね
一番大切な人と



そして歩いて行く
ひとり歩いてみるから
君のいなくなった道でも
光照らしていける様に



そして歩いて行く
君も歩いていくんだね
ふたり別々の道でも
光照らしていける様に...

(「End roll」〜album『ayu-ro mix』2000.2)

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ひとりとして 傷も付けずに
生きていくなんて 出来るわけもない

犠牲者だなんて思うなら
全て失くしても 構わない覚悟で
最後まで演じきればいい

君が何を明日へと願い
暗く続くどんなに長い夜さえも超えて行こうと思えるのか
いつか聞かせて欲しい

私は何を想えばいい
私は何て言ったらいい
もてはやされたって
羨まれたって
解ってるのかさえ解らない

こんな私の事 解ってくれるのなんて
きっと君だけだから

(「End of the World」〜album『Duty』2000.9)

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人は皆通過駅と この恋を呼ぶけれどね
ふたりには始発駅で 終着駅でもあった
そうだったよね

もうすぐで夏が来るよ あなたなしの...

(「Far away」〜album『Duty』2000.9)

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今日がとても楽しいと 明日もきっと楽しくて
そんな日々が続いてく そう思っていたあの頃

(「SEASONS」〜album『Duty』2000.9)

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人を信じる事って いつか裏切られ
はねつけられる事と同じと思っていたよ
あの頃そんな力どこにもなかった
きっと 色んなこと知り過ぎてた

(「A Song for XX」〜album『A BEST』2001.3)

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ねえ ほんとは 永遠なんてないこと
私はいつから 気付いていたんだろう
ねえ それでも ふたりで過ごした日々は
ウソじゃなかったこと 誰より誇れる

生きてきた 時間の長さは少しだけ違うけれども

ただ出会えたことに ただ愛したことに
想い合えなくても La La La La.. 忘れない

真実と現実の全てから目を反らさずに 生きて行く証にすればいい

(「LOVE 〜Destiny〜」〜album『A BEST』2001.3)

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ふたり離れて過ごした夜は
月が遠くで泣いていたよ
ふたり離れて過ごした夜は
月が遠くで泣いてた

(「Who...」〜album『A BEST』2001.3)

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そう僕達はあらゆる全ての場所で繋がってるから
この言葉について考える君とだってもうすでに

ああ僕達がいつか永遠の眠りにつく頃までに
とっておきの言葉を果たしていくつ交わせるのだろう

(「Connected」〜album『I am...』2002.1)

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僕達はそう自由で
ただ余りに自由過ぎて
何処へだって行け過ぎて
何処へも行けずに

(「everywhere nowhere」〜album『RAINBOW』2002.12)

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許す事で許されてた
遥かもう遠い過去も
癒すことで癒されてた
気が付けばそんな風に
愛を遠ざけようとした僕は愛に救われていた

(「RAINBOW」〜album『A BALLADS』2003.3)

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目と目合ってそして言葉を交わした
胸が高鳴って笑顔で隠した
君を知らなかった頃に戻れなくなりそうで

(「Because of You」〜album『Memorial address』2003.12)

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伝えたい想いは溢れるのに
ねぇ上手く言葉にならない
あなたに出会えていなければこんな
もどかしい痛みさえも知らずに

(「No way to say」〜album『Memorial address』2003.12)

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僕達は時にどうしようもない過ちを犯し
そのうちに少し俯瞰になる
傍観者ごとく
まるで何もなかった様な顔をして歩き出す
だけど今日も覚えている
戦いは終わらない

(「forgiveness」〜album『Memorial address』2003.12)

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激しい音立てて閉ざした心の扉
開く鍵なんてもうずっと遠い日に見失ったのなら
ありきたりな言葉とか
ありふれた表現でいい
何にも包まれていないそのままを
あなたから聞かせて

(「About You」〜album『MY STORY』2004.12)

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明日の今頃にはうまく笑える
そうまるで何事もなかったかのように
いつだってそうやって歩いて来たのに
このゲーム思うように操作できない

(「GAME」〜album『MY STORY』2004.12)

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見上げた空 綺麗でした
君の事を想いました
君のように強く前を向いて
歩いて行けたらと

こんな声は 届きますか
君の胸へ 響きますか
君の背を生きる道しるべに
今日も歩いています

(「walking proud」〜album『MY STORY』2004.12)

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変化を恐れるなら離れたとこで見ててよ
何かしたってしなくたって
結局指さされるなら
あるがままに

大それた事でもないの 難しく考えないで
そうつまり欲しいものしか
もう欲しくないって事
それだけなの

(「alterna」〜album『(miss)understood』2006.1)

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だけど私の愛してるとか
信じてるとか永遠だとかって
言葉を一番疑ってるのは
他の誰でもなく私だから

そう私の笑顔だったり
涙だったり怒りだったりって
いう感情は心の奥底と
繋がっているとは限らない

(「in The Corner」〜album『(miss)understood』2006.1)

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All words by:ayumi hamasaki

夏の葬列

2007年8月15日
あっという間に、夏季休暇最終日である。
5日間の休みだったのだが、普段の洋装に加えて、予定通りに浴衣と、
予想外に喪服を着た。

お盆に喪服。
マッチしすぎて、何とも言いがたい。
真珠のネックレス以外、全身を黒で固めて地下鉄に乗れば、一斉に視線が集まり、一様に「まあ、お盆に葬式なんてね…」と言いたげな目であった。

亡くなったのは親族ではなく知人の父親なのだが、年齢的にまだまだ若い。
倍の年齢を生きれば「大往生」と祝福されて、葬儀場の入り口に並べられた花輪の菊だってすべて持ち帰られただろうに、触れる人もいない。

病魔に侵されてからの数年間、小康状態と危篤状態を繰り返していたものの、ここ最近の状態は酷く、現在の医学ではもう手の打ちようがなく、ついに「延命治療をどうするか、と医者に問われた」という話を聞いたのが盆前。

お盆のさ中に亡くなるとは、帰ってきていたご先祖たちに呼ばれたのか。延命治療を断念したのか。

うなだれた知人、涙で瞳を真っ赤にした知人の母親で故人の妻。

聞くべき質問ではないが、前者だと思いたい。

ところで、葬儀場までは、地下鉄・JR・バスを乗り継いで片道2時間。

バスを降りれば、

炎天下に響き渡る蝉の声
葉が風に揺れる緑の田園風景
格子戸が情緒溢れる古い町並み

…初めて訪れた知人の実家は、吃驚する程の“田舎”だった。

バス停から葬儀場までは徒歩3分ほどなのだが、
信じられないことに誘導を任せていた連れが
バスを降りた後の道順を調べておらず、
しかも葬儀場のほうも誘導看板を置いておらず、
タクシーを拾おうにも、まったく走っていない。
方向を推測しながら歩いているうちに迷ってしまい、
道行く地元の人に聞きながら、30分かけてようやく到着…。

35℃超えの猛暑に、喪服を汗だくにして歩く…
一体どういう試練かと思った。
(お盆中の渋滞を考慮して、あえて車でなく公共交通機関を使ったのが裏目に…)

けれども、そのお陰でなかなか魅力的な道を歩くことができた。

人に道を聞こうにも、まったく人が歩いていないのには
参ったが、それでも3人の人に道を聞き、
3人目は、地元の医院の前で井戸端会議を開いていた老女だったのだが、
道を尋ねたら、「ウチに帰るついでだから」と連れて行ってもらえることに。

その老婆が案内した道は、完全なる“裏道”というか、“地元民のみ知る道”。

本来なら(少なくとも地図上は)、
その葬儀場へはコンクリートで固められた車道を歩くのだろが、
そこは人一人通るのが精一杯の土の歩道。
左右は木々に囲まれて緑が風にそよぎ、小花が咲き、
頭よりほんの上の高さにまで木々の枝がロープのように垂れ下がり、
鳥の声や蝉の声がこだまする…

まるで宮崎アニメの『となりのトトロ』や『千と千尋の神かくし』にでも出てきそうで、妖精や妖怪が現われても何らおかしくない道。。。

途中でその老婆を「大丈夫か?どこに連れていくのか?」と
疑ったものの、数分歩いたところで道を出て右に曲がったら
葬儀場が聳え立っていた。

五感に訴える鮮烈な体験だった。

帰途に突然、山川方夫の『夏の葬列』が読みたくなり書店を訪れたのだが、なかった。
シーズン的に絶対「夏の文庫フェア」系の帯がついて平積みしてあると思ったのだが…。

『夏の葬列』で思い出したが、
考えてみれば、今日は終戦記念日なのであった。
私の祖母は、空襲で逃げている最中、ほんの数メートル後ろに
焼夷弾が落ちたという。
一緒に走っていた人は、一瞬で焼け死んだ。
祖母がもう少し後ろにいたら、その人になっていた。
そうしたら、母も私もこの世にはいる筈もない。

その体験談を聞いた小学生の頃から、毎年8月15日は
そのことを思い出し、考えていたのだが、
この頃では、すっかり忘れつつあるのが恐ろしい。
まさに日本の戦争体験の風化である。

『夏の葬列』だって、
悲惨な戦争がなかったら生まれ得ない話だった。

えにし2

2007年8月1日
何かあるのだろうか。
2度あることは3度ある…またもや、切れた「縁」が繋がった。

「霊的パワー」はもちろん、流行の「スピリチュアル」にも興味がない私なのだが。

ここ最近の《めぐり合わせ》的な邂逅には、人智を超えた何かを感じずにはいられない。

しかも、今までのように、私から積極的に再会を願っていた人々とは違って、もはや完全に過去の人物と化して、二度と関わることもないだろうと思っていた人と・・・。

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今日、会社に外注のスタッフとして新しくやってきた娘がいた。
その娘は、私がリーダーを務めているプロジェクトで使おう、という話で、前々から名前だけは知っていた。
彼女を面接した上司から名刺のコピーを渡され、「機会があったら使ってあげて」と言われていたので、今回後輩に彼女を使わせることにした。

それで今朝、打ち合わせのため彼女が来社したのだが、後輩が「桜沢さん」と私の名を呼んだところで、彼女が突然私に、
「桜沢さんですか?…桜沢さんって、●●●(かつて、私が携わっていた社外プロジェクト名)をやっていませんでした?」
と話しかけてきたのだった。

見ず知らずの初対面の人に唐突にそんなことを言われ
「そうですが、何で知っているんですか!?」と驚く私に、彼女は言った。

「●●●にいた××って知ってますか?
私、彼と結婚したんです。」
と。

・・・

×××は、今から4年前、私の中で重要な位置を占めた人、であった。

私が●●●から退いて、完全に過去の人となっていた。
が、当時、この日記にも書いている人だ。
完全に忘れきるには、惜しい、魅力ある男性だった。

―過去を呼び醒まされ、胸は、動悸する。

しかし、私の心の内の動揺にまったく気付かず彼女はニコニコと続ける。

「桜沢さんが●●●を外れた後、私も●●●に入って、それで彼と知り合ったんです。私はすぐに辞めちゃいましたけど」

「それにしても、なぜ私がここにいるとわかったんですか?あなたとは会ったこともないのに。」と問うと、

「ここの商品をよくチェックしているので。桜沢さんの名前も入っているのを知っていて。彼も『知ってる人だ』って言ってたんです。今回参加させてもらうことになって、会うのを楽しみにしてました」。

私は、しげしげと、彼女の顔を見る。
私より随分年下の、この娘の顔を。

当時、彼が心の内で追いかけていた、あの若き人妻のように、
色白で奥ゆかしく、しかし芯を持った、
日本の美学に基づいた“大和撫子”的な女性が彼の好みなのだと、
ずっと思っていた。

しかし、実際に伴侶として選んだのは、灼けた肌と明るく染めた髪に、よく喋る口、
凛とした品性のかけらもなく、どちらかといえば親しみやすさがウリの
ギャル上がりのような、元気で明るい“お姉ちゃん”なのだった。

外見だけではない。取引先の会社へ赴いての打ち合わせで、相槌が「ええ」や「はい」ではなく、「うん、うん」
という常識のなさ・・・。

なぜだか、ガックリ、肩の力が抜けた。

今更、何の未練もないが、
こういう「後日談」なら知る必要はなかった。

しかし、そんな態度は億尾にも出さず、
何も知らぬそぶりで、微笑んだ。

「そうなんですね。ご結婚、おめでとうございます。
彼によろしくお伝えください。」

えにし

2007年7月30日
今日は、ホイットニー・ヒューストンやスティーヴィー・ワンダーのバラードを聴いて、もの哀しい気持ちになっている。

海外のバラードは日本のバラードよりも切なさや哀しさが強いように思う。
そして、海外のポップスは日本のそれより陽気だ。
欧米の人は、日本人より感情表現が激しいせいか。
日本は気候が湿っぽいせいか、何かにつけてカラッとしない。

最近は、昔のえにしに再び繋がることが多い。
(5/31「いよよ華やぐいのちなりけり」、7/10「&」)

一昨日も、ほとんど疎遠になっていた知人の消息を偶然知った。
大学の先輩であった。私は当時恋人がいながら、その人に不毛の片恋をしていた(なんだかこのパターンが多い気がするが…)。とにかく、懐かしい思い出である。

その人が、当時いた学部・研究室とはまったく違う畑にいたので、驚いた。
を通り越して、愕然とした。

180°違う分野。しかも、彼には最も不向きと思われる職種。
以前、仕事に疲弊している旨のメールを受けたことはあるが、まさか、こういう類の疲弊だとは、思いもしなかった。

現実というものは非情で残酷である。
学生時代というのは、本当に、夢の中の世界である。

今日は参議院選挙で民主党圧勝で沸いているが、そんなことより、今私が対面しているこの現実に幻滅する。
フィル・コリンズの名曲「ANOTHER DAY IN PARADICE」を、
ブランディーが弟と共にカバーしている。
この曲が、すごく好き。
もの哀しくて、夜に一人で聴くのにこれ以上に似つかわしい曲はない。

She calls out to the man on the street
’Sir, can you help me?
It’s cold and I’ve nowhere to sleep,
Is there somewhere you can tell me?

He walks on, doesn’t look back
He pretends he can’t hear her
Starts to whistle as he crosses the street
Seems embarrassed to be there

Oh think twice, it’s another day for
You and me in paradise
Oh think twice, it’s just another day for you,
You and me in paradise



天国、なんていいもんじゃぁないと思うけれども。
夢を見るのは、現実逃避かな?
シドニーでも沖縄でも見たゴールデンシャワーが、頭の中にフラッシュバックしている。
鮮やかな、色彩のシャワーが。

2007年7月10日
もう4年ほど音信普通の友人がいる。
生きているのか、死んでいるのかすらわからず、消息不明。

しかし何と、今日偶然、生きている痕跡を見つけたのだ。
日付は2005年×月×日とあり、
少なくとも、2年前までは、きちんと生きていたことが判った。

実家の住所も電話番号も知っている。
例えば正月、例えばお盆。
何かの折に思い出すたび、電話をかけてみようか、
訪れてみようか、とも考えるのだが、
彼女の複雑な家庭の事情を少なからず知っているので、
情けなくも躊躇して、今に至っている。

家庭の理由だけではなく、
何より、
私が出しゃばるのは、迷惑なのではないか、
と、気後れしてしまうのだ。

4年前、唐突に音信不通となり
心配した私からの携帯の電話もメールも一切無視をしたことが、
わだかまりとなり、その不協和音は精神の奥底で
低く呻り続けている。

当時、恐らく有事であったのだろうが、
非常時に排除されることほど、悲しいことはない。
必要ないとされた人間の、切なさ。
彼女にとって、私は無益なのだと、突きつけられて。

昔のように、ざっくばらんに話せる時が
いつか訪れるのか、
当時の彼女の憂鬱な時期を、笑って話してくれる時が
やって来るのか、どうだか、未来はわからないけれど。

ひとまず…偶然ながら彼女の生存の痕跡を見つけ出し、
安堵。

たまには恋の話

2007年7月2日
最近の日記を読み返すと、自分の精神状態が今
いかに殺伐としているかがわかる。

林真理子女史(昔は嫌いだったのに)の小説の中でも
“都会キャリアウーマン”系の(とでもいおうか?)ジャンルに
属する「ワンス・ア・イヤー」「コスメティック」をこの数日に続けて読み、
ますます精神は殺伐としてくるのである。
林氏の小説は、何と女の心を渇かすのが巧いか。
そう、あまりに容赦なくズバリと心臓の真ん中を射抜くので
矢に塗られた“虚しさ”という毒が心に広がり、染みいる。



さて、そんな折、
大学時代の友人(男性)からメールが入った。
他愛のない話が続いた後、“6年間付き合っている彼氏がいる女の子のことを好きになってしまった、どうしよう”というような内容の文章が、サラリと、まるで「今日は突然雨が降り出して困った」とでも書くようなそぶりで
非常にサラリと書かれてあったので、思わず動揺した。

彼のことは、今から7年ほど前、好きだった。
いわゆる、“片思い”というヤツだった。
が、一筋縄で行かないことに、当時、私には恋人がいた。

恋人がいながらも、数々の軽い恋もしていた“若気の至り”の
時代だった…のだが、彼にだけは、手が出せなかった。
「好き」だなんて、冗談でも、口に出せなかった。
彼が、あまりに純粋だったから。

彼のことがとても好きで、彼のことがとても大切で、
一生、付き合っていきたいと思った。
だから、ヘンな手出しはしないよう、我慢した。
欲望のまま行動していた、当時の私が、だ。
一線を越えてしまえば、いつかは別れるときがくる。
一時の気の迷いで、彼との関係を壊したくない。
“友だち”のままでいられれば、一生付き合っていける。

―そんなふうに、思った。

それから年月が経ち、私もすっかり丸くなった。
今では、家族のように過ごす恋人があり、
激しく燃え上がっていた情熱も、炭火のように穏やかな愛情へと変わり、
恋愛への渇望は、この穏やかさによって徐々に昇華されていった。

物心ついた頃から、自分の人生の中で、お勉強より何より最も一大事だった“恋愛”への執着を失うと同時に、女としていかに仕事を一流にこなすか、ポジションを上げていくか、そんなことにばかり神経が過敏になり、
林真理子氏の小説を読んでは、同調してますますイライラし、
思考回路は攻撃的になり、野心だけが膨らんでいった。

そんな近ごろの日々の中で、
彼からのメールは、ふっと私の肩の力を抜かせたのだった。

…ああ。
私のことを良き女友だちだと信じこんでいる、この友人へ、
唯一といってもいい、かつて“何もなかった”この男友達へ、
私は、一体、どんなアドバイスを返信しようか。すべきか。

当時の私ならば、彼への気持ちをひた隠しにしながら
「好きなら奪っちゃえ♪」とメールしただろう。
当時の私がその立場であれば、迷わずそうした。

今なら…「遠くから見守るだけの愛だってあるよね」
なんて、昔の私なら偽善的!と罵るような台詞すら
自然に頭に湧いてくる。

…のだが、しかし、さて、一体、何と返事をしようか。

たまには、淡く切ない気持ちになったって、罪はない筈だ。
毎朝、満員の地下鉄から押し出されるように降り、
地上へ向かって急ぎ足で昇っている時に思う。

「肉体の疲れが精神の疲れを引き起こすのか、
 精神の疲れが肉体の疲れを引き起こすのか」

“鶏と卵”のような愚問を自らに問いかけ、
「朝から疲労に見舞われているなんて…」と嘆き、独りごつ。

地上に出れば、目を細めるほど太陽が眩しく、
湿気がねっとりと肌にまとわりついて、苛立ちを募らせ
すべてが恨めしい気分に陥る。

しかしこんな時、世に溢れる、したり顔の指南書など必要ない。
疲労が幾重にも身におおいかぶさり、抜け出せず、
精神も肉体も破綻しそうになっている時こそ、小説を読む。
どれだけ多忙だろうが、睡眠時間を割いてでも
先人や人生の先輩が紡ぎ出す言葉を目で辿り、文学の世界へ浸り込む。

そう、読書は、恋愛より酒より食事よりエステよりセックスより
何より心身を開放し救済する特効薬である。

厭でも疲労に追い込まれる泥沼の環境に身を沈ませる日々の中でも、
此処ではない“別世界”へ束の間でもトリップすることで、
この身を正常に保たせている。
バッグの中には、常備薬として、頭痛薬と一緒に必ず小説が入っている。

竹西寛子を読めば、世の中にはこのように清廉な世界があるのだ、と感嘆し
林真理子を読めば、世の中にはこのように欲望に赴くまま生きる人もあるのだ、と
また感嘆する。
両極の世界を行き来しながら、その中間の世界で中途半端にたゆたっている
我が現状を顧みて、清廉でなければ奔放でもない、
どっちつかずのろくでもない生活だ、などと嘆かわしい気分になり、
いずれかの世界へ近いうちにも移動せねば犬死だと再確認することで、
気力を保ち、一日一日を何とか無事に遣り過ごしている。

この頃は、欲望に忠実に生きていた学生時代の日々をやたら思い出す。
学生の心地などとうに捨て去ったはずなのに、
これほど思い起こすからには、現状に問題があることは明白で、
その原因について考えを巡らすにつれ、
やはり、早々に軌道修正が必要なのだと強く自認する。

然し、どんな状況にあっても壊れない、
強靭な精神を持っていることが唯一の私の強みである。
この苦境も、次の舞台へ跳ね上がるためのバネだと思えば
無駄ではないと思い直す。
そして、水面下で階段作りを画策する。

無論、周囲に対しては微塵も顔には出さない。
人には悟らせない。
悩むことは時間の無駄だし、愚痴を吐くことも無駄。
自分の人生の進路を他人にうだうだと相談することも無駄。
決断をした瞬間から、常に最良の時機を窺うのみ。
それにしても、人はなぜ、すぐに泣き言を漏らすのか。
憂鬱な顔をして見せるのか。
去るときが来たら、潔く去るだけで良いではないか。
後のことについて思い巡らす必要などない。

背に負った重責以外のことを考える回路が塞がれるほど
心身が疲弊に見舞われる状況にあっても、
気を強く持ち、正確に未来を見据えられているのは
ひとえに、傍らにあるたくさんの書物のお陰である。

一つの世界に囚われず、広い視野で思考する助けにするのに
読書の他に何があろうか。

笑ってテレビの娯楽番組を見る暇があれば、のんびりと食事をする暇があれば、ゆっくりと湯船に浸かる暇があれば、セックスをする暇があれば、本を読む。
睡眠時間すら削って本を読む。

現実逃避ではない。
別の世界へ移るための思案の助けとなる、必要な知恵がそこにある。
素晴らしい師だ。
多くの師に囲まれて、今夜もまたありがたくも疲弊を回避し、
野心の火を灯す。
ここ数年気になっていた事柄が、
あっさりと解決してしまった。
呆気ないほどである。
喜ばしいことではあるが。

5年前が、鮮やかに蘇る。
縁がなければ、このような交差は
訪れなかったであろう。
何かしら、運命めいたものを感じる。

以前書いたように、相変わらず品性を持ち合わせぬ
拝金主義の人々に囲まれて生きながら、
わずかな光明を手繰って生き延びている私に、
こんなに突然に、かつての路が現われようとは。

岡本かの子の『老妓沙』の名句
「年々にわが悲しみは深くして
 いよよ華やぐいのちなりけり」
の句が、頭に響く。

“老妓”へはまだまだ遠いけれども。
しかし、5年前の私には確実にこの話の
云わんとする事を理解できなかったであろう。

悲しみというのか、諦めというのか、
とにかく、そういったものが年々深くなる中で、
みずから探し当てた過去の遺産に、
心は華やぐのである。
『ラマン』でデュラスは
「十八歳でわたしは年老いた」
と書いた。
18歳なんて歳はとうの昔に過ぎているが、
似たような感情を、近ごろ抱く。

青春と呼ばれる年代にしか読めない本がある。
その時期を過ぎたら読んではいけないというわけではない。
「消費期限」切れではないが、「賞味期限」切れなのである。

読書好きを自称するひとならば、
誰しもが手を出したことがあるであろう
サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を、
私は読み逃している。

10代のころ、もちろんこの小説の存在は知っていた。
が、専ら三島由紀夫や皆川博子、山田詠美といった作家に
傾倒していた私は、その青春の名作に興味を抱かなかった。

(三島由紀夫・皆川博子・山田詠美は、一見まるでバラバラの
取り合わせのように見えるが、私にはどの作品も“しっくりと”読めたのだった)

『ライ麦畑でつかまえて』
このタイトルからして、気恥ずかしい。
周囲に、この本を“バイブル”という人があった。
私は、この2つ年上の先輩を好んでいなかったので、
ますますこの本から遠のいた。

同級生に、村上春樹ファンがいた。
新作が出ると飛びついていた。
図書館には、作品がずらりと取り揃えてあった。
しかし、手を伸ばすものの、棚から取り出すことはなかった。

そうして、青春といわれる時期を通過していった。

今思えば、興味はなくとも、読むべきだったのだ。
これほど多くの人に長い間愛され続ける作品・作家なのである、
読めば何か得たものがあったに違いない。

そんなに後悔するならば、今からでも読めばいいじゃないかと
言う人がいるかもしれない。
しかし、私にとっては、すでに「手遅れ」なのである。

青春小説と呼ばれる類のもので唯一読んだのは、
山田詠美の『放課後の音符』ぐらいだ。

当時は、主人公の気持ちに共感しながら貪るように読み、
このような“ちょっと大人な恋”に憧れたものだった。
しかし、今読み返しても、当時のような感情は得られない。
むしろ、そこに出てくる“大人”たちのほうに興味は移る。

やはり、青春の必読書と呼ばれるものは、
その年代に読まねばならない。

映画でいえば、学生時代には
青春の真ん中を行く金字塔「愛と青春の旅立ち」
青春独特の孤独感ゆえに破綻を来たす「17歳のカルテ」
「ヴァージン・スーサイズ」「アメリカン・ビューティー」
ロックバンドを敬愛する少年のグルーピーへの淡い恋
「あの頃ペニー・レインと」などを、好んで観た。

当時愛した、それらの映画。
残念ながら、今ではその熱は失われてしまった。

すべては若き“青春”という時代がなせるわざ。
はしかのように一過性の、流行病のようなもの。

恋への情熱。性への興味。
友情を結ぶ楽しさ。仲間との連帯。

それらを謳歌していた時代が確かにあったが、
今では蟄居した老人のような日々を送っている。
だからこそ、『ライ麦畑…』を読み逃したことが悔やまれる。

10代〜20代前半の学生は、ぜひ読むべきである。
モラトリアムという特権階級にいるうちにしか、
これらの本の魔法のような魅力は発揮されない。

私のように時期を逃すと、
あらすじや冒頭を読むだけで読む気を無くしてしまう。

青春という時代は素晴らしい。
世界は自分を中心に回っていると錯覚し、
傷つきやすい敏感な心を持ち合わせ、
恋愛を人生の重大事のように取り扱うことができ、
つまらぬことに真剣に取り組んだかと思えば、
大切なことに対してなげやりになったり、
すぐに怒って、すぐに泣き、悲しんだかと思えば
すぐ笑う。
あり溢れる時間と体力を持っている。
何より、若さゆえの未熟な輝きを放っている。

そんな時代は永続しないのだから、
その短い時間に、惜しまず青春の必読書を携えるべきである。

リリー・マルレーン

2007年4月22日
兵舎の前の大門のそばに
街燈が一つ立っていた
今でもまだそこに立っているなら
その場所でまた君と会おう
あの街燈の下で
昔のように、リリー・マルレーン
昔のように、リリー・マルレーン

二人の影は一つになって
僕たちが愛し合っていたことは
皆にもすぐわかった
人はまた見るだろう
街燈の下に立つぼくたちを
昔のように、リリー・マルレーン
昔のように、リリー・マルレーン

歩哨が叫び
帰営時刻を告げるラッパが鳴っている
遅れれば三日間の営倉行きだ
戦友よ行くよ、今すぐ戻る
僕らはさよならを言った
どんなに君といっしょに行きたかったか
君と共に、リリー・マルレーン

君の足音を街灯は知っている
君の気取った足どりも
毎晩、街灯は燃えている
でも、もう僕のことは記憶の彼方
もし僕の身に何かが起きたなら
だれが街灯の下に立つのだろう
君といっしょに、リリー・マルレーン

寂しい場所から
大地の底から
まるで夢のように僕をひきあげる
うっとりとしたきみの唇が
夜ふけの霧が渦をまくとき
僕は街灯の下に立とう
いつかのように、リリー・マルレーン

Lili Marleen/ララ・アンデルセン
(1939 ドイツ)

lylics:ハンス・ライプ
music:ノルベルト・シュルツェ

----------------
戦争によって引き離された恋人たちの、
哀愁と希望を唄った名曲『リリー・マルレーン』。

二次大戦中、ドイツのみならず世界中の兵士の
心を掴み、癒した。

唄い手ララ・アンデルセンという女性の、
数奇な運命と凄まじい生涯について考える。
また、この曲を引き継いだ大女優
マレーネ・ディートリッヒについても。

そして、
運命という名の川の流れ方について想う。
愚かな行為はやみそうにない。

この曲がラジオから流れている間、
兵士たちは聴き浸り、戦いは中断した。
自分の大切な人とのささやかな幸せを願う
気持ちは、国境を越えて変わらないはずなのに。

濫読の春

2007年4月17日
千々に乱るる この心
知り給へるは 君だけや

我さぐる ことの葉の
裏に潜むる 真意をば

心なき 笑みかけられば
囚わる身 ただ情けなし

当初より 別れし君と我の道
出合いを願う 浅ましさ

先々を 思い遣りもす
ひとときの
戯れならば いかに安らむ

現実を。

2006年12月18日
過去の足跡を辿る

かつて
私の周囲には
大層高邁な人々がいたものだった。
皮肉ではなく、
心底高尚な人々と
私は対話していたのだった。

「切磋琢磨」という恥ずかしい言葉さえ
輝かしく似合っていた日々よ

はなればなれに。

散ってしまった今では



みずから手放してしまった今では

到底、取り返しのつかないことを
せしめたと嘆きながら

ただ、品の無い人々に囲まれ
現実的に現実を生きる。

この世の美

2006年9月10日
悪い夢を見て、目が醒めた。

深酒をすると悪い夢を見ると
教えてくれたのは、彼だった。

飲みすぎた酒が残る重い体を起こし
怠惰に時計を見る。まだ6時だった。

カーテンを開け、部屋の外の世界を見る。
明け方の空は、東に徐々に光を孕んでいるが、
世界はまだ眠りについている。
静かな世界。

神々しい空の色と、静寂の中に響く鳥のさえずり、
ベランダに広がる緑の香り・・・

都会の中では忘れ去られているはずの
自然という存在を、ふいに感じさせられ
不覚にも、涙が滲んでくる。

美しいものを目にする喜び
美しい音を耳で聞ける喜び
五感が正常に作用しているという事への感謝。
教えてくれたのも、また彼だった。

彼は生まれつき、世界から音を失っていた。
ほんのかすかな左耳の聴力で、わずかな音をかき集め
音というものを手探りで自分のものしようとしていた。
日々、必死に。

私たちには到底想像のできない、音の無い世界。
大海原の波の音も、
アシュケナージのピアノも、
窓辺で涼やかに揺れる風鈴も、
迫力をなくした小音量になり、
そして歪んでいた。

あるとき、耳栓をして一日過ごそうとして、
3分でギブアップした。
音が聞こえないということが、どれほど不安であることか。

私たちにとって気が狂いそうな異常な事態を、
彼はうまれつき強いられていた。
それなのに、音のない世界を持つ彼は
音のある世界を持つ私たちを凌駕していた。
彼の弾くピアノは、これ以上なく繊細で、優雅で、
慈愛に満ちて優しかった。

五感を当然のように享受している者たちが
知らず知らずに持つ傲慢さがまったくなかった。

神は、彼から奪い、そして与えていた。
それが、特別な者ということなのかもしれない。
何が幸せなのかはわからない。

彼と別れて、随分経つけれど、
悪い夢を見た朝には、必ず彼を思い出す。

普段、夢すら見ないほど疲労して深い眠りに
沈んでいる私が、決まって見る夢は悪夢で、
都会の早いサイクルの中で、あらゆることに忙殺されて、
物事に感謝することや、自然の美しさを感じることを
忘れてしまっている自分に、時々彼は現れ忠告してくれる。
美しい音となり、美しい景色となり。

私にとって、世の中の美は彼という存在と同義なのだ。

春の終り…か。

2006年4月24日
そのとき頭を巡っていたのは、「不毛」という言葉。
そして、その言葉はじき「徒労」と変わった。
「こんなことをして、一体なんになるというのだ?なんにもなりやしない!」
口からは発さない。ただ、自分の脳内で、自分に向かって話しかけていた。
「無駄だ。」
思えばあれ以来、そんなことばかりして、最終的に同じ考えへ辿りついているように思う。
「終わったことに執着して、なんになるというんだ?」

高級住宅街の坂道を、下っては上り、うねる道を進み、分岐する道を曲がり、そして同じ道を何度もぐるぐる歩く。天候の良い土曜の昼に庭いじりをする平穏な老夫婦の顔に「不審」の二文字を浮かばせる。当然だろう。閑静な街並みに、周辺を見回しながら複数回歩き過ぎていく女は、誰が見ても怪しい。
晴天とはいえ少し肌寒い春の陽気だが、そのうちしだいに汗ばみ、息も切れ、ジャケットを脱ぎ、カットソー1枚でひたすら歩き続けた。額に浮かぶ汗をハンカチで押さえ、今は夏かと錯覚する。
そして、ふいに瀬戸内晴美の小説「夏の終り」を思い出した。知子が慎の家へ向かっている様子が浮かび、まるで二重写しのように自分の姿を見た。目的地がどこにあるかもわからず、ひたすらその方向であろう方向へ歩き続ける。鬼気迫る表情、乱れる化粧。文章世界の人物である知子の表情が、ありありと浮かんでくる。私は、カットソーにジーパンではなく、和服を着ているのではないか・・・とさえ思えてきた。
と同時に、「不毛」という言葉が頭に浮かんだのだった。
そして、かつて創ったの詩の一節を思い出した。
『不毛 ゆえにむせぶ』
これは当時の恋人との報われない状態の中で創ったものだった。
あのころは、ほとんど毎日、詩の創作をしていた。
そういえば、最近はまったくしていない。
今の恋人との関係が始まった頃から、だんだんと創らなくなった。
今では、同棲しているので、一人で物思いをする時間もない。が、それは理由にはならない。
創作は、外的な要因ではなく、内的な要因がなければ為しえないのだ。
つまり、創作へと自己を突き動かす感情が。創作に昇華しなければ、やりきれない感情が。
その事実を冷静に分析すれば、私が今こんな所でこんなことをする必要などまるでない。
そう、現在進行ではなく、完全に過ぎ去っていることに、こうして憑りつかれてどうするのか。
しかし、本当に、完全に過ぎ去っているのか?そう、「こと」は終わっている。だけど、彼の「こころ」は終わってはいない。いまだに、過ぎ去った場所にいる女性を追い、心の中に棲ませている。
たとえ、現実になんの関係がなくても、彼は内側に自分以外の女性を置いており、しかもそれを私に対して隠している。それを知って、私を襲った絶望。ああ、こんな事態を到底、許せるわけがない。しかし、彼に自覚がなければ、責めようもない。彼は、私と新しい生活を順調に進めていると思っている・・・。

やがて、それと思われる外国産の車を発見した。周辺には人ひとりいないというのに、まるで泥棒が、侵入する前にさりげなく周囲の人の不在を確認するかのような動きで見回し、そして、おそるおそる目の前に存在するものへ近づいた。大きな感情は湧いてこない。ただ、振り幅の小さい感情、いやむしろ、無に近いような感情が、自分の内にひっそりと現れた。
何もしない。ただ、じっと見つめた。それが数秒だったか、数分だったかはわからない。
私は、その場にへたりこんだ。
それまで、何か説明しがたい執念に突き動かされて、運動不足の足腰を機械のように作動させていたのだが、ついに目的地に辿りつき、力つきたのだった。どっと、疲弊に見舞われた。
空を見上げると、澄んだブルーに白いちぎれ雲が優雅に流れており、憎らしさを覚えた。

立ち上がり、見下ろす。この車が彼女のものであるという確証はない。
彼女と同じ車種であるだけで、別物かもしれない。
溜息がでた。
「徒労」
この言葉を土産に、私は家へ帰るため駅へ向かった。

Open the door

2006年4月5日
扉が開かれ その奥には楽園と見まちごう程の
花と緑と光と水が 戯れ合い 輝いていた

例えればそのような
この上なく 最上の日々を送る

「あなたはしあわせ者だ」

部屋を満たす 咲き誇る薔薇の香や
連なった胡蝶蘭の白や スイートピーのピンクといった色が
わたしの体の上に降りかかり そう囁く

ベッドで目を瞑った この身は その声にただ頷き
まだ知らぬ死と 同等にすら感じる快楽を享受する

自分の鍵穴にピッタリと合う鍵を
なかなか見つけることが出来ず彷徨い
不具合のある鍵ばかりを受け容れ
むりやり扉をこじ開けていた過去を思う

運命の鍛冶師は忙しく すべての人へ平等に
鍵を創り与える時間は持ち併せない

だから私のような 何の特別性も無い女には
唯一無二の鍵を授かる機会に巡り合うことなく
生涯を終えるのだろう と察して

晴れもつかの間 暗雲たちこめさせ雨降らして困らす
そんな気まぐれに表情を変える空に 自身をなぞらえ
なんとなく恨めしく 見上げていたというのに

「わたしはしあわせ者だ」

at last, open the door!

とろける

2005年12月14日 恋愛
身も、心も、
とろける、ということを知る。

溶けて二人ひとつ

わたし あなた ひとつ

無力のひと

2004年10月15日 お仕事
不条理を続ける気力

プライドを保つ努力

快楽を追求する強さ

どれもこれも
もはや 今のあたしからは
失われつつある・・・

これからどうやって生きよう?
これからどうなっていくのか?

今は もう
何もわからない
何もわからない

右も左も上も下もなく
閉じ込められた箱の中で
もがくことすら諦めて

無力な小鳥のように
ぐったりと
心を死なせている

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